千石がゆく
           作・広島友好





   ○とき……ちょっとだけ昔のこと。

   ○ところ…日本のどこか。
        町工場のある町。
        千石次朗の妻、時江の入院している病室をメインに。

   ○ひと……千石次朗(せんごくじろう)
        千石時江 その妻
        千石まもる 息子
        次朗の母
        主治医(時江の担当医)
        医学生
        矢竹の親父(次朗の師匠)
        大垣さん(入院患者)
        目黒さん(車椅子の男)
        笹河原先生(まもるの担任)







   千石次朗を演じる役者、出てくる。作業服姿である。

千石次朗を演じる役者 ようこそお越し下さいました。ありがとうございます。これから小一時間ほどお芝居にお付き合いいただきます。
   ええ、この間……ちょっと前になりますが……妻が手術をしまして。このぉ、左ののどにこぶができたんですね、このぐらいの(子どもの拳ぐらいの)。 甲状腺ってやつが腫れまして、ストレスじゃないかっていうんです。妻の連れ合いの夫が……つまりわたしなんですけども……日頃なにやってんだかわかんな い。んで、ストレスが溜まるという。
   のどをこぅ切り開くんだからあぶない手術にはちがいありません。下手すると声帯を傷つけて声が出ないかも。
   手術が終わるのを待ってる間ってのはヤキモキしますねぇ。予定時間を過ぎれば過ぎるほどあぶない、なんて医者から脅しと言いますか説明を受けてまし たもんで。ひょっとして当初の医者の見立てより悪いんじゃないか。取り出したこぶの腫瘍が厄介なことになってて、元に戻したりなんかしてんじゃないか。も うちょっと生きてる間にやさしくしてやれば良かったなぁだとか、いろいろ考えてしまいました。(ト客席の隅を指さして)まだそこにピンピンしておりますけ ども。
   さて、きょうのお芝居はそんな体験を織りまぜての、虚と実まぜこぜの夫婦の物語です。

   柝(拍子木)が一つ入る。
   時江、出てくる。入院用の寝間着姿。

次朗 今、妻が手術中です。

   この場面はまだ次朗の回想シーンなので、時江は、次朗とは別の空間(舞台の中の別の場所)にいる。時江、微笑んで次朗を見ている。

次朗 (自分を手で示して)ある男千石次朗が、その妻時江の手術の終わるのを待っています。
   ここは病棟のロビー。エレベーター前。予定時間がどんどん過ぎていく。隣の食堂……デイルームからは昼のニュースが流れてきます。遅いなぁ。朝九時 に始まって昼の十二時前には終わる予定なんです。手術患者専用のエレベーターが開くたびに、身を乗り出す。が、無人だったり、白衣の人が降りてくるだけ。 手術室は三階にあり、わたしの待っているのは六階。じりじりと不安が募ってくる……。
   手術の二日前、若い主治医からこんな説明がありました。わたしには難しい言葉が並んでいましたが。

   主治医、出てくる。

次朗 疑われる? 疑われるって、どういう(意味ですか)?
主治医 つまり……悪性です。
次朗 悪性……ですか。
主治医 ええ。
次朗 こぶが……。
主治医 手術してみないとはっきりとはわかりませんが……悪性と疑われます。
次朗 (傍白)妻は隣で大人しく聞いていました。すでに医者から大まかな説明は受けているらしい。

   時江は別の舞台空間にいる。

次朗 その、のどを切り開いて、こぶを取るわけですね?
主治医 ええ。手術中に取りあえずの検査をします。簡易検査を。
次朗 で、
主治医 で?
次朗 どうなんです? そのこぶが、悪性だったら?
主治医 や、まだはっきりとは。もう一度精密検査をして良性か悪性か確定しますから。
次朗 (傍白)頭がまっ白になるってことあるもんですねぇ。わたしは黙り込んで、若い医者のかけているメガネを見ていました。えらい細いフレームだな、と。
主治医 あの、なにかご質問は?
次朗 え? ご質問? ご質問って言われても。(傍白)そのとき医者が首からぶら下げているケータイが目に入った。と、居ても立ってもいられない。(主治医に)――先生、そのケータイ。そう、それ。おれが作ったの。
主治医 これを? ですか?
次朗 いやいやいや、全部じゃなくて、中のバネ。こんなちっちゃいの。うちの工場(こうば)で。
時江 あなた(恥ずかしいわよ)。
次朗 なによ。本当のことなんだから。
主治医 バネが、あるんですか(ケータイに)?
次朗 あるんですかって。たいていの物はバネがあるんですよ。ここなんかピッとなるでしょ? うちの工場はね、ちっちゃいんだけど、いろんなもん作ってん ですよ。ここ(腕)をね、あれ(信用)してもらって。生き残るの大変なんだから、うちみたいな町工場(まちこうば)は。いいもんをね、こぅ安く作んない と。
主治医 あの、
次朗 ――え?
主治医 ご質問は?
次朗 ご質問? ああ。……ありません。お任せします、先生に。よろしくお願いします。

   主治医、去る。

次朗 妻と二人面談室を出て、病室へ戻りました。

   次朗の回想シーン。なので、次朗と時江は別々の舞台空間で話す。回想であることが観客にわかることが望ましいが、なんだかよくわからなくても、異化効果が出ればそれはそれでよい。

次朗 そんな、難しいことはわかんないよ。レントゲン写真見せられて、MRとか、CTとか。こっちはまな板の上の鯉、任せるしかないんだから。
時江 そうね。
次朗 そうだよ。
時江 ああ、でもまもるに聞かせればよかった。
次朗 なにを?
時江 なにをって、さっきの説明。
次朗 こぶの話ぃ?
時江 めったにない機会じゃない。
次朗 そりゃそうだけど。恥ずかしいよ。
時江 勉強になるじゃない。社会勉強。
次朗 勉強にはなるだろうけど、やっぱ恥ずかしいよ。親子連れで。
時江 そうぉ? 突然ケータイのバネ、自慢しちゃうよりいいと思うけど。
次朗 バカ。ありゃ、目の前ぶら下がってたから。
時江 ……。

次朗 んでも、あいつ受験どうすんだ?
時江 まもる? さあ?
次朗 さあって、聞いてないのおまえ。
時江 決めたら言うでしょ、自分から。
次朗 ダメだよ、そんなんじゃ。
時江 んじゃ、どうしろっていうの?
次朗 どうしろってことないけどさ。ま、いっか、うちの工場で働けば。
時江 うちのぉ? 中卒でぇ?
次朗 ほら言うだろ、そうやって。でもやっぱ高校ぐらい出とかなきゃなぁ。おれだって工業高校出てんだから。
時江 でも今の成績だったら公立無理よ。私立(しりつ)がやっと。
次朗 しりつって、わたくしりつ? 私立はダメだよ、金かかって。
時江 だったら家で勉強見てやって。
次朗 おれが? まもるの?
時江 英語とか数学とか。
次朗 英語はダメだよぉ。ジンマシン出るもの。サンキューで、舌噛んで、血ぃ出たことある。
時江 また冗談言って。
次朗 本当だって。おふくろに聞いてみ。

時江 それより……払えるの?
次朗 なにを?
時江 ここのお金。入院費。
次朗 心配すんじゃないよ。払うよ。払えるよ。(急に不安になって)いつまでに払うの?
時江 いつまでって、入院の栞(しおり)に書いてあるでしょ。
次朗 書いてある? 栞に?
時江 書いてあったわよ、確か。退院するときに精算するって。
次朗 精算って、その、全部払えってこと?
時江 そうよ。
次朗 全額ぅ?
時江 そう。
次朗 キビしいねぇ。
時江 当たり前じゃない。
次朗 払えないとどうなんの?
時江 追い出されんじゃない。
次朗 追い出すの、病人を?
時江 お金払わなきゃ病人じゃないの。
次朗 病人じゃなきゃ、なによ? ゾンビ?
時江 知らないわよ。
次朗 分割になんないの、入院費って。
時江 なんない。
次朗 ヤ、わぁかってる。当てはあるんだ当ては。心配しなくていい。
時江 やぁよ、借金は、また。
次朗 借金じゃないよ。一つ大口の仕事頼まれてんだ。
時江 どこ?
次朗 ん?
時江 そんなとこあった? 専務のわたしが知らないような仕事。
次朗 ほら、……徳丸興業。
時江 (驚いて心配して)大丈夫ぅ?
次朗 大丈夫って、なに? 大丈夫だよ。
時江 あぶないって言ってたじゃない、徳丸興業。
次朗 言った? おれが。
時江 言ったわよ。あの社長は喰わせもんだって。
次朗 言ったそんなこと?
時江 言った言った。
次朗 言わないよぉ、おれ。ヘヘヘ……。
   (客に語りかけて)徳丸興業の徳丸社長ってのは、得意先の一つなんですが、みなさんにも一人や二人いると思うんですけど、できればあまりお付き合い したくない類の人でしてねぇ。なんかトラブルに巻き込まれる。先日も仕事の電話があったんですが、うやむやに断ったんです。
   (電話をしている)ああ、社長。なに、忙しいってほどでもないけど。仕事? うん。大口の。また訳ありなんじゃないの。ヘヘ。この間みたいなの、い やだよぉ。お縄もらっちゃ商売どころじゃなくなるからね。ヘヘヘ。人工衛星? ホントにぃ? あの宙浮かんでるやつ? バネ使うの、人工衛星で? う~ ん、ちょっと待って、仕事の段取りつけなくちゃあれだから。うん……うん……、三日以内にね。返事を。はい。わかりました。んじゃ、どうもです。(電話を 切り、微妙な表情を浮かべる)
   (客に)と、また電話がかかってきた。これは、別口。
   (電話に出て)はい。千石工業。はい。(ばつの悪い顔)あ、どうも……。いや、それがね、かみさんが入院したりなんかして。いや、わかってますよ。 関係ないっちゃ関係ないけど。そりゃもちろん。……一週間待ってもらえますか。ダメ? 月曜? 二万円? キビしいなぁ。いや、仕事入ることになってんで すよ。現金の。大口の。はい。はい。わかってます。払いますよ払います。月曜に二万円ね? 返します、借りたもんは。はいはい。はいはい。(電話を切る) チッ……。ふうぅぅ……。(ト大きなため息)

   病室。(回想に戻って……)

時江 どうした?
次朗 ん? あぁ? なんでもない、なんでもない。ボーッとしてただけ。
時江 ならいいけど。
次朗 片付いた? バスタオルなんかある? 箸やなんかは? 他にいるものは……と。
時江 断ってよ。
次朗 え?
時江 変な仕事なら。
次朗 なに? さっきの話? 徳丸? 断る断る。心配しなくていいから。
時江 もぅ、綱渡りなんだからぁ。
次朗 なにが綱渡りよ?
時江 (あきれて)なにがって。
次朗 仕事? 生活?
時江 どっちもよ。
次朗 落ちずにやってきたじゃなぁい。落ちずに。今まで。
時江 運がよかっただけ。わたしがいなけりゃ何回倒産してたか。
次朗 バカ、おれの腕があるから――
時江 わたしの営業努力。
次朗 そりゃ、それもあるだろうけど――
時江 だれのお陰? ちゃあんと言って。
次朗 だれのお陰って、バカおまえ。
時江 あんた? わたし?
次朗 んなの決まってんだろ。
時江 だれ?
次朗 はいはい、そりゃもちろんあんたのお陰。あんたなくしておれはなし。ハハハ。なんちゃって。
時江 なんちゃってってなによ。もう。……(優しく笑う)フフ。フフフ。……

   時江の姿がゆっくり消える。
   この芝居の冒頭の時間に戻る。病棟のロビー。エレベーター前にいる次朗。

次朗 そんな手術前のあれこれを思い出すともなく思い出していたら、エレベーターの扉があいた。滑り出てきたのはストレッチャーに乗せられた妻。口には酸素マスク。点滴をぶら下げている。

   ストレッチャーに乗せられた時江が、主治医と医学生に運ばれてくる。

次朗 妻の前後を挟むようにして、手術着姿の担当医と研修の医学生がいた。
   「あっ、こりゃいかん」
   病室へ向かう妻のあとを追いながら、あっ、こりゃいかんと思ったんです。なんでって、前を行く医者二人の暗いのなんのって。うつむいて背ぇ丸めて。その背中の重いこと。どよぉ~っとしちゃって。こりゃいかんなと思うじゃない。
   妻は病室のベッドに移され、術後の処置を施されてゆきます……と、若い主治医がわたしを振り返った。
主治医 ご主人、見られますか?
次朗 ええ? ――はい。はい。

   主治医は病室を出ていく。その後をついていく次朗。

次朗 なにを見るのかってえと、妻のこぶです。のどについてた。そのこぶを見せながら手術結果を説明してくれるという。わたしは妻を病室に残して、小走りに主治医のあとをついていきました。

   主治医が「こぶ」の入ったプラスチック容器を次朗に渡す。

次朗 ナースセンターで見せられた妻のこぶは、正直気持ちのいいもんじゃなかった。ジャムの瓶ほどのプラスチック容器にホルマリン漬けにされていました。 「どうです?」なんて見せられて。……それはまるで子どもの心臓のよう。赤黒くてちょっとグロテスク。筋肉の塊のようでもあり、焼き肉のレバーのようでも ありました。
   (主治医に)うわっ、これねぇ。こんなになって。
主治医 中から浸み出してました。
次朗 え?
主治医 こぶの中から、悪い物が。ベトォッと。
次朗 へぇ。
主治医 リンパ腺にも癒着してかなりやられてましたから。取りました。リンパ腺も。
次朗 取っちゃった。リンパ腺。
主治医 それで手術時間が延びました。

   次朗、「こぶ」の入ったプラスチック容器を主治医に戻しつつ……

次朗 んで、ほれ。あれ。
主治医 え?
次朗 なんてったっけ、すぐわかるやつ。
主治医 簡易検査?
次朗 そうそれ。簡易検査。したんでしょ? ね、どうでした?
主治医 ……。
次朗 驚きませんから。ええ、ズバッと言っちゃって下さい。
主治医 ……悪性、でした。
次朗 ――悪性。ふぅん。悪性ですか……。(動揺して)悪性ってのは悪いってこと?
主治医 あくまで簡易検査ですから。
次朗 ややや。わかってますよ。で、この先どうなんです。(生存)確率というか、治る見込みは。知っとかないと。覚悟ってあるでしょう。なんの準備するにしても。
主治医 千石さん、いいですか。簡易検査は――
次朗 わかってますよぉ、くわしく調べないとわかんないのは。精密検査でしょ。でもね、その間どうすりゃいいの? ね? 思い切って言っちゃって下さい。
主治医 言えと言われれば、言いますが。
次朗 うん、言って。
主治医 目安ですよ、あくまで。
次朗 はい。目安ね。はい。……で?
主治医 ん~まあ、三十パーセント、ですか。
次朗 三十パー……。三十パーセント……。
主治医 ええ。
次朗 もうちょっとなんとかなんない? 七十パーセントはダメってことでしょ!
主治医 ダメなんて、ひと言も――
次朗 ああごめんなさい。ダメなんてことじゃないよね……。よろしくお願いします。しっかり治療してやって下さい。あ、かみさんにはおれから言いますか ら。先生言わないでね。ショック受けちゃうから。おれからやぁんわり言っときます。ね。で、おれがいいって感じてから、先生に説明してもらうから。ね、約 束だよ。約束。

   主治医、消える。
   病室。

次朗 病室に戻ると、妻は麻酔で朦朧としていました。けれど、入れかわり立ちかわり看護師や主治医がやって来て、「どうですかぁ? 気持ち悪くないですかぁ?」なんて声かけするもんだから、本人はおちおち眠ってもいられない。

   次朗、ベッドに横になって寝ている時江に呼びかけられる。時江は手術直後であまり声が出ない。首に包帯をしている。(もう回想シーンではないので、ここからは二人直接やり取りをする)
   次朗、時江の口元に耳を持ってきて……

次朗 え、なに?
時江 (ありがと。)
次朗 ありがと? バカ。いいんだよ、夫婦なんだから。(軽口で)夫婦だよな、おれたち? ハハハ。
時江 ……。
次朗 具合悪くない?
時江 (悪いに決まってんでしょ。)
次朗 悪いに決まってる? そりゃそうだ。うん。目つぶっときな、麻酔効いてんだから。
時江 (見たかったなぁ。)
次朗 ハァ? 見たかったって、なにを?
時江 (こぶ。)
次朗 こぶ? こぶね。あんたの? ついてたやつ。
時江 (うん。)
次朗 すごかったよぉ、子どもの心臓ぐらいあった。こんなの。(ト自分の拳で大きさを表現する)
時江 (え~!)
次朗 ホントに。子どもの心臓なんて見たことないけど。もうね。レバーみたいで、こぅ毛ぇ生えてた。
時江 (うそ。)
次朗 ホントだって。生えてたんだって。先生、学会で発表するって言ってた。ハハハハ。

時江 (で?)
次朗 でって?
時江 (どうだった?)
次朗 どうだったって、だから毛ぇ生えてた。
時江 (ちがう。)
次朗 ちがう?
時江 (どっち?)
次朗 どっちって? え?
時江 (いいの? 悪いの?)
次朗 ……あ、悪性だった。
時江 (そう……。)(深いため息)
次朗 ――あ、悪性なんだけど、大丈夫なんだ。
時江 ?
次朗 三十パー……じゃなくて、七十パー、七十パーセントなんだ。
時江 (七十パーセント?)
次朗 そ、そう。七十パーセント。良くなるの、七十パー。七十パーセント大丈夫なんだって。
時江 (ホントにぃ?)
次朗 そう言ってたもん、医者が。おれに。七十パーセントって。七十パーセントって言やぁ、もうすぐ八十だよ。九十パーは目の前だ。ハハハ。
時江 (またバカ言ってぇ。)
次朗 ……心配することないから。うん。ね。
時江 ……。
次朗 もうちょっと寝てな。ここいるから。
時江 ……。
次朗 うん。な。
時江 ……。(目をつぶる)
次朗 (時江の眠ったのを確かめて――客に小声で叫ぶように)いけませんか、このぐらいのうそ! 悪性を良性だと言ってるわけじゃあない。三十パーセントを七十パーセントと……ちょっとこぅ開きはありますが……いいじゃないですか!

   次朗、時江を見、天を仰ぎ、柏手を二つ打ち、祈る。
   ト病室の外に出て、ケータイのかけられる所を探す。

次朗 ところで、病棟の中ってのはケータイをかけられる場所がなかなかないン。それもちょっと訳ありの電話をね。
   (人目を気にしつつ電話をする)あ、徳丸社長。千石です。ん、この間の話、人工衛星。あれ、やるから。やらして下さい。――ええ? もう決まっ ちゃったの、他所に? そう? う~ん、困ったなぁ……。別の――仕事? うん、なんだってやりますよ。うん、えっ……そんなにもらえんの? 難しい?  そりゃ簡単な仕事じゃないでしょ、金がいいんだから。まず、サンプルをね、雛形。それで大量に作るン? ああ、作るのは海外でね。やっぱちがうでしょ、日 本のバネは。経費見れないの、うまくいかないと? うん、いや、うまくやってみせるから。コスト抑えてね。はいはい。じゃ、くわしいことは……。頼んま す。どうも。(電話を切る)ふうぅぅ……。

   明るくコミカルな音楽。

次朗 妻が化学療法の治療を始めました。落ち込んでるだろうから励ましてやろうと思いました。きっと良くなるんだからってね。……でも症状が安定してるのか、妻はアッケラカンとしている。同じ病室のお向かいさんとペラペラお喋り。もう仲良くなってやんの。

   同じ病室の患者大垣、出てくる。五十年配のおばさん。
   時江と大垣の会話。

時江 こんな、子どもの心臓ぐらい。子どもの心臓なんて見たことないけど。ちょっと毛も生えてたって。フフフ。ストレスよ、ストレス。ストレスの塊。仕事不景気でしょ。うちなんか零細企業で、綱渡り。落ちないでやってこれたのが不思議なくらい。フフフ。
次朗 (傍白)とこんな感じ。
大垣 あら、ご主人が元気なだけいいわよ。うちなんか若いころ連れ合い亡くして。三十三(歳のときに)。それから、もう、息子二人育てるのに、大変。やっと、のんびりと思ったら、これ、ガン。
次朗 (傍白)と向かいの……大垣さんっていうんですが、負けてない。お喋りなんです。暇だねぇ、二人とも。

   時江と大垣はひとしきり笑い合った後、それぞれのベッドに別れる。(大垣は去る)

次朗 とそこへ、見知らぬ男がやってきた。筋骨隆々、寝間着の肩が筋肉で盛り上がってる。さわやかな笑顔。白い歯。短く刈った前髪がピンと上を向いている。挨拶も気持ちいい。
目黒 こんにちは。千石さんですか。

   ト目黒、来る。車椅子に乗っている。

次朗 (客に)病院にこんな男は不似合いだった。ただし男は、車椅子だったけどね。(目黒に)千石はうちだけど、なにか? あ――、かあさん!
時江 (ほぼ同時に)おかあさん。

   ト車椅子に乗った目黒の後ろから、次朗の母が姿を現わす。

次朗 どうしたの?
母  だっておらんのだもの、どこ探しても。
次朗 もしかして、迷子?
母  もしかしなくても。
次朗 またぁ!
母  この病院広過ぎるわ。まるでデえズニーランド!
次朗 なに言ってんの! ちゃんと教えといただろ、615号室だって。
母  615ぉ? 516じゃないの?
次朗 階数ちがってるよ。
目黒 わたしの部屋です、516。
次朗 え、お宅の部屋ですか、516。
目黒 困ってらっしゃったもんですから。ここまで(お連れして)。
次朗 すみませんねぇ、どうも。
時江 ありがとうございます。
次朗 ご迷惑だったでしょ? 年いってボケてきましてね。
母  (次朗のそばまでツカツカとやってきて……年の割に足はしっかりしている……次朗の額を指でつつく)
次朗 イテッ。ホントじゃない。そりゃ見舞いに来てくれたのはうれしいけど。もうこぶ取ったから大丈夫なの。すぐ良くなるんだから。
母  また隠して、ホントのこと。
次朗 なに言ってんの。なにも隠してないよ。
母  うそおっしゃい。
次朗 なんでだよ。
母  あのね。おまえは子どものころからうそつくと、
次朗 うそつくと?
母  眉毛が段ちがい平行棒になんの。
次朗 ンン?(ト上目遣いで自分の眉毛を見ようとする) んな、バカなこと言ってないで。自分が病人みたいなもんなんだから。いいの、見舞いに来なくても。
時江 次朗さん! せっかくおかあさん来てくれたのにぃ。(義母に)ありがとうございます。外、暑かったでしょ? この人、口悪いから。気持ちと裏腹で。
次朗 そう言うんじゃないけど。おふくろの体心配して。心臓も弱いしさ。
時江 だったらやさしくしなさいよ。(義母に)ねえ。
次朗 やさしくしてるじゃなぁい。な、おふくろ。
母  あつっ(暑)。安心したら、汗かいてきた。
次朗 チッ。服脱ぎなよ、服。(びっくりして)何枚着てんの! 下着二枚も重ねちゃって。
母  (あぶら汗を流し、胸を押さえ、苦しそうな顔)
次朗 ほら、なに、胸押さえて。やだよ。
時江 おかあさん、大丈夫?
母  あぁ、苦しっ……(ト倒れかかる)
次朗 お、お、お! こんなとこで倒れんなよ。
目黒 大丈夫ですか?
次朗 大丈夫か、かあさん?
母  (何か次朗につぶやく)
次朗 (母の口元に耳を近づけて)え? なに?
母  (良かったぁ、病院で。)
次朗 良かったぁ、病院で? バカ言ってんじゃないよ! 看護師さぁん! 看護師さぁん! (客に)どなたかお医者様はいらっしゃいませんかぁ!

   このあとこんな芝居があってもいいかも……
   次朗、母を抱えて介抱しながら、目黒に医者を呼んできてもらうように頼む。
   目黒、機敏に車椅子を反転させて急いで病室を出ていく。
   時江は濡れタオルを持ってきて次朗に渡す。
   次朗、そのタオルで母の額やあごの下の汗を拭う。
   時江の主治医がやってきて、母に注射を打つ。次朗はそれを横ではらはら見守る。
   母がけろりと元気になり安心する……などなど、あわてふためきつつ……
   明るくコミカルな音楽。

次朗 (客に)そんなこんなで入院生活の一日は過ぎていきます。うちのおふくろは注射打ってもらったらケロッとして帰っていきました。

   次朗の母、飛び切りの笑顔で、客席に愛想よく会釈して去る。

次朗 (母を見送る)まったく……気ぃつけてな!
   (客に)ところで、わたしの方はってえと、徳丸社長から引き受けた仕事を早く片付けなくちゃなんない。でもこれがなかなかうまくいかない。なんて言 うんでしょう、規格外の物なんですねぇ。どこの部品に使うのやら。ま、簡単なら他に持ってく仕事なんでしょう。難しいからこっちへお鉢が回ってくる。それ をやるから商売になる。でもぉ、どっか焦りがあるのか、行き詰まっちゃいましてねぇ。にっちもさっちもいかない。んで、思い切って、昔お世話になった金型 職人の矢竹の親父の所へ相談に行ったんです。

   矢竹の親父の家。
   矢竹の親父さんは脳梗塞の後遺症で右半身に麻痺があり、言葉がやや不自由。
   次朗、矢竹の親父さんに作りかけの製品(バネ)を見せている。

矢竹 (矢竹の話す言葉はすべてろれつが回っていない)ん、これかい?
次朗 なんでもいっぺんにたくさんの物を跳ね飛ばすとかで。
矢竹 タコみたいな形だね。
次朗 機械で計っても誤差出ちゃうし。どうしたもんかと。
矢竹 おれなんかダメだよ。手がこんなだもん、脳梗塞で。
次朗 そりゃ知ってるんですが。
矢竹 右側がね、効かないン。みじめなもんだ。手が使えりゃ、職人なんて怖いもんなし。年金もいらないや。でもね、見てくれ。これが現実だ。つらいよ。言葉もままならない。だぁれも寄りつきゃしない。それにね、時代がちがう。おれがやってたころとは。道具もなんも。
次朗 はあ……。
矢竹 昔は手が喜ぶなんてこともあったが、作ってるうちに手の方がうまい工夫見つけ出して。今はダメだ。
次朗 でも、目は確かでしょ。
矢竹 ん?
次朗 物を見る目は。
矢竹 (自信を取り戻したように笑って)ああ。ああ。……(バネの製品を見て)これな。こりゃなんか語りかけてこねえな。うまい仕事はしてるが。迷いがある。
次朗 強度があって、小さい。その上安い。この三つを兼ね備えなきゃなんないんで。
矢竹 ふむ……。(バネを見ている)
次朗 行き詰まっちゃいましてね、そこんとこで。
矢竹 ところで、大丈夫なのかい?
次朗 え?
矢竹 あの野郎だよ。徳丸。いい噂は聞かねえが。
次朗 そりゃ、ま……信じるしか。金払いだけはいいですから。
矢竹 奥さん悪いのかい?
次朗 え? まあ……。
矢竹 貧すれば鈍すって言葉もあるからな。バカな仕事引き受けて腕汚しちゃいけねえよ。
次朗 それは……大丈夫です。
矢竹 ふむ……。どうだ、一杯(いっぺえ)やってくか。(トゆっくり立ち上がる)
次朗 見舞いに行きますもんで、病院に。着替えやなんか、その。
矢竹 できた奥さんだったな、おまえんとこは。
次朗 は。
矢竹 ありゃ、いい女房だ。(台所へ悪い足を引きずりながらゆっくりと行く)
次朗 なんスかね、この仕事うまくやり遂げたら、嫁さんもちょっとは良くなる気がして。
矢竹 ふん、願掛けかい。(台所へ消える)
次朗 そんなもんでもないんですけど……。
矢竹の声 大切にな。おれはかあちゃん亡くして……独り身はつらいぜ。
次朗 はい。

   病室。時江、食事中。

時江 (食事に添えられた紙を見て)Aは金だらめの塩焼き。Bは万作(まんさく)。
次朗 え、なに?
時江 あしたの献立。
次朗 ああ。(紙を見て)食事の選択できんの。
時江 うん。
次朗 金だらめってなに?
時江 魚。
次朗 ふぅん。金だらめっているの?
時江 いるんでしょ。
次朗 万作は?
時江 魚。
次朗 そう。万作も。で、どっちにすんの?
時江 選ばないと自動的にAになるの。
次朗 どっちか選ばせるわけだ。不満解消に。
時江 そうかもね。
次朗 肉はないの、肉は。
時江 魚の方がいいの。
次朗 魚がいいの? そう。お粥美味しい? 飽きない? 毎日食べて。
時江 飽きないわよ。
次朗 たまにはご飯にしたら。
時江 引きつるの、まだのどが。ちょうどいいの、お粥が。
次朗 (覗いてみて)のどがねぇ……。
時江 もう、落ち着いて食べられないじゃない。仕事どうなの、仕事?
次朗 仕事? うまくいってるよぉ。
時江 ホントにぃ? いつも決まった時間に来て。
次朗 バカ。来てないときは仕事漬けだよぉ。
時江 断ってね。変な仕事だったら。
次朗 え?
時江 なに?
次朗 徳丸社長のこと?
時江 他になにがあんのよ。
次朗 ハハ、断っちゃったよ、あそこの仕事は。今やってんのは、別の仕事。
時江 別の?
次朗 そう、別口。ヘヘヘ……。
時江 (次朗を怪訝な表情で見ながらまた食べ始める。お粥をズズリズズリ)……。

次朗 ……んでもさ、例えばなに?
時江 ?
次朗 いや、どんな仕事なの、変な仕事って、あんたの言う?
時江 例えば?
次朗 そう、例えば。
時江 爆弾。
次朗 バクダン?
時江 戦争の武器。
次朗 ハハハ。おもしろいこと言うねぇ。
時江 あなたが言えって言ったんじゃない。
次朗 この日本で、なんでおれんとこで戦争の武器作るわけ?
時江 ……。
次朗 オモチャだよ、オモチャ。
時江 オモチャ?
次朗 今の仕事、オモチャのバネ作ってんの。バッーンていっぺんに飛び出るやつ。四方八方に。
時江 どんなオモチャよ、それ?
次朗 知らないよぉ、タコみたいなもんだろ。
時江 タコぉ?
次朗 言われたもん作るだけなんだから。その先知らないよ。
時江 あぶないなぁ。
次朗 いつものことじゃない。
時江 だって、あの社長でしょ?
次朗 だから、徳丸の仕事じゃないって。
時江 うそ。眉毛が段ちがい。
次朗 (思わず立ち上がって眉毛を隠して)ええ! バカ。心配いらないっての。
時江 ホントにぃ?
次朗 ホントだって。もしもんときはスパっと断んだからおれだって。スパっと……。
時江 (また次朗を見ながら黙々と食べる)……。
次朗 ……。

時江 まもるは?
次朗 ん?
時江 もうすぐ運動会でしょ。
次朗 だよ。
時江 作れる? お弁当?
次朗 作れるよぉ。あいつの好きなもんって言ったら、タコウインナーに卵焼きなんだから。
時江 そんな、子どもじゃないわよ、まもる。
次朗 子どもじゃないって――子どもじゃない。
時江 年頃だって言ってんの。
次朗 んなね、男はみんな通った道なんだから。
時江 昔と今はちがうの。思春期なんだから。
次朗 そんなもん変わんねぇよ。
時江 もう、すぐ自分に引きつけて。
次朗 んなこと言ったって。
時江 で、どうするって?
次朗 なにが?
時江 進路。
次朗 知らない。
時江 聞いとくって言ったじゃない。
次朗 聞いたよ。聞いたけど言わないんだもん、あいつ。おれのこと避けて。
時江 もう!
次朗 心配いらないって。いざとなりゃ、うちの工場継げばいいんだから。
時江 押しつけないでって言ってるでしょ、いつも。
次朗 押しつけてないよ。
時江 それがもう押しつけてるの。
次朗 押しつけてないって。押しつけないけど、ちっちゃいころから物作るの好きだったんだから。血だよ。血。
時江 もう……。(次朗をジロッと見てまた食べる)
次朗 ……チェッ。

時江 あのね。
次朗 なに?
時江 こないだの話。
次朗 こないだ……?
時江 わたしに――もしものことがあったら――
次朗 もしもなんてないよ。
時江 でも――
次朗 七十パーだよ。
時江 でも――
次朗 いや八十だよ。
時江 (鋭く)聞いて、わたしの話。
次朗 ――わかったよ。
時江 わたしにもしものことがあったら、
次朗 ン。
時江 そんなのわたしもいやだけど、
次朗 ン。
時江 もしものことがあったら、気兼ねとか遠慮とかいらないから。
次朗 でもね――
時江 黙って。
次朗 ン、ン。
時江 いい人できたら、結婚していいから。
次朗 バカ、おまえ。
時江 わたしいいから。新しい人と結婚して。ね。
次朗 もう言うなよ。おれはね、中学ん時からおまえが好きで、一緒になったんだから。
時江 ありがとう。でも――
次朗 工場大きくすんだから。それが夢なんだから。おまえと、まもると。
時江 またぁ!
次朗 言わないよ、まもるには。わかってるって。
時江 ……。
次朗 おれも言わない。だから、おまえも言うな。新しい連れ合いとか。
時江 ――。
次朗 気持ち落ち込むから。
時江 だから、そうなんないように――
次朗 わかったって。な、もう。
時江 ……ごちそうさま。

   時江、食べ終わった食器など片付ける。

次朗 んで、あれだ、他に変わったことない?
時江 あ、お礼言ってきた。
次朗 お礼って? だれに?
時江 目黒さん。
次朗 目黒さん?
時江 ほら、おかあさん連れてきてくれた、車椅子の。
次朗 ああ、あの好青年。マッチョの。
時江 体育の先生なんだって。
次朗 へえ。でも、足怪我しちゃっちゃあ大変だね。
時江 怪我どころじゃないのよ、もう片足ひざから全部……(切断)。
次朗 ありゃありゃ。かわいそうに。
時江 交通事故で。
次朗 へえぇぇ。
時江 高速で巻き込まれたんだって。
次朗 そうぉ。意地悪だねぇ、神様も。
時江 でもがんばってるんだってリハビリ、義足つけて。
次朗 偉いねぇ。見るからにがんばり屋って感じだもんね、ありゃ。
時江 陸上やってたんだって。大学で。
次朗 へえぇ。
時江 走り幅跳びやってて、いいとこいったんだって、国体。
次朗 そう。で、今なにしてんの、仕事?
時江 だから高校の先生。体育の。
次朗 ふぅん。でもそりゃこの先大変だわ。
時江 ねぇ。
次朗 でも、あんた、すぐ友だちになるね。
時江 わたしぃ?
次朗 そこがいいとこ。ホント、それだけ。
時江 それだけってなによ。
次朗 じゃなかった。それが特にいいとこ。人間一つぐらい長所はある。
時江 口悪いなぁ。
次朗 ヤ、向かいのおばちゃんともさ。
時江 ん、大垣さん?
次朗 ね。すぐあれしちゃうし。仲良くなっちゃうし。
時江 (次朗をそばに連れてきて、口を覆うようにして)ガンなんだって、大垣さん。末期。
次朗 え、(思わず小声になって)ガンなのおばちゃん。ガンが多いね、ここは。
時江 バカ。病院じゃない、ここ。
次朗 あ、そうか。
時江 (あきれて)ホントに。
次朗 でもあんたの方がずっと元気そうだよ、おばちゃんより。
時江 え?
次朗 (慌てて)あ、お、あ。に、憎まれっ子世にはばかる。なぁんて。
時江 (次朗をつねる)
次朗 イテテテ。うそだよ、うそ。ヘヘヘヘ。

   明るくコミカルな音楽。

次朗 (客に)その夜遅く、矢竹の親父から電話があった。徳丸社長のことだった。なにか良からぬ噂を聞いたらしい。(矢竹の口調で)「あぶねえ仕事だから、よく確かめろ」って……。わたしはすぐに徳丸社長に電話した。
   (電話している)いえね、ちょっと心配する人がいて。オモチャって、どこのオモチャなの? そりゃバネ作るのに知らなくていいんだけどさ。外国へ送 るって言ってたよね。組み立て作業するって。それってどこ? 言えない? 言えないの? 訳ありの国はいやだよぉ。言えなかないけどって、どういう?  え、知らなくてもいいんだけど、心配する人が。
   土ん中埋めんの? オモチャを。オモチャを土ん中埋めてどうすんの? ハッ、にぶい? オモチャが? え、おれ? 土ん中入れてバネでいっぺんに跳 ね飛ばす?……オモチャみたいな……怖いもの? ――なに、もしかして、あれ? 地雷とか!? ダメだよぉ、社長! 言ってくんなきゃ! なぜって、うち のが嫌がるんだもの、そういうの。絶対ダメだって。え? 今入院中なんだけどさ、体あれして。んなことはどうでもいいけど。
   そりゃ、部品だよ、部品。そのものじゃないよ。でもまずいよぉ。頼まれた物作りゃあいいってね、そりゃそうだけど。――やっぱちがうよ。
   朝鮮とか、ベトナムとかそんな古い話持ち出さないでよ。おれはないよ、作ったことなんて。女房が嫌がるんですよ。とにかくね。――ちょ、ちょ、 ちょっと待って。断る……とは言ってないじゃない。嫌がるってことを。バレなきゃいい? バレなきゃわかんないけど。世の中いくらでもいるでしょうよ。ガ キじゃないんだからおれも。
   ここまで知って引き返せないって、なに? 脅し、それ? あぶないから儲かるっても。
   弱ったなぁ。……前金払ってくれんの。ん~そりゃいろいろ物入りで助かるけどさぁ。
   ――なに、それ。聞き捨てなんねぇな。ホントはできないんだろって、なに? そんな半端職人じゃないよ。これで飯食ってんだから。できるよぉ。でき るさ。できるけども……あ、できないんならそう言ってってなに、他所に回すって。――やるよ、やってやるよ! やりますよ! 納期までにきっちりと。いい もん作るよ。ン。ン。んじゃ。はいはい。はいどうも。(電話を切る)
   ん~、こりゃ変なことになっちまったなぁ。嫌がんだろなぁ。ドッーン、バッーンだもん。弱ったぁ……

   ト玄関で物音がする。中学生の次朗の息子まもるが帰ってきた。

次朗 (さっきまでの乱れた感情をグッと隠して)おう、遅かったな。
まもる 部活……。
次朗 おぅ。
まもる 長引いた……。
次朗 腹減ったろ、走り回って。
まもる うん……。
次朗 今、飯作るからな。

   次朗、冷蔵庫を開ける。晩飯の材料を取り出す。台所で慣れない料理の支度。(パントマイムの演技など)

次朗 あれだ、かあさんな、ぐんぐん良くなってるぞ。近いんじゃないかな、退院。
まもる じゃ、もうすぐだ。
次朗 うん。だといいけど。

   次朗、料理に取りかかる。

まもる あ。
次朗 なんだぁ?
まもる 手。
次朗 ん?(自分の手を見る)
まもる 洗ってよ。汚い。爪が。
次朗 バカ、こりゃ落ちないんだよ、油が染み込んで。
まもる ……。

   次朗、手を一応洗う。鼻歌など歌いながら野菜を切る。

次朗 それと、あれだ、今度の日曜な、運動会。かあさん行けなくてあれだけど。弁当作ってやっから。心配しなくていい。
まもる いいよ。別に。
次朗 いいって、なにが?
まもる いらない。弁当。
次朗 なんでだ。あれか? 出るのか学校で?
まもる そうじゃなくて、来なくていいから。
次朗 来なくていいって、なんだ。
まもる 怒鳴んないでよ。
次朗 怒鳴ってないよ。約束したんだからかあさんと。おれが弁当作って、おまえの好きなタコウインナーと卵焼きで――
まもる またか。
次朗 なんだその口のきき方は!
まもる とにかくいらないから。(ト二階の自分の部屋へ駆け上がる)
次朗 いらないってなんだ! だれに食わしてもらってると……待て、こら! 話を聞きなさい。おぉい! ……チッ。どいつもこいつも。だれのためだと思っ てんだ! 作りたくないもんまで作ってよぉ。クソッ。このぉ! バカヤロッ……!(壁をバンッ!と蹴る――つま先が痛い)アッタタタタ……!

   病室。

時江 ハハハハ。そう。そんなこと言ったの。いやだって、タコウインナー。
次朗 (つま先を撫でながら)生意気になったよぉ。
時江 もうね、タコの年でもないのよ。
次朗 じゃ、なに。次はイカリングかよ。
時江 ……。
次朗 ハハハハ……ァ。
時江 (ポツリと)見に行きたかったなぁ。
次朗 え?
時江 最後だもんなぁ。
次朗 そりゃ中学最後だけどさ。
時江 (首を横に振って)ウゥン。
次朗 なに?
時江 わたし。
次朗 え?
時江 わたしが最期かも。行けるの。運動会。
次朗 またバカ言って。
時江 だって。来年良くなる保証ないでしょ。七十パーセントが五十や三十になることだって――
次朗 なんでそうネガティブなんだろねぇ。今年見れなかったら、その分来年の運動会はすごいだろなァ。感動するだろうなァって。そう思わなきゃ。
時江 前向きね。相変わらず。
次朗 おれ? フン。前向きじゃなきゃ今どき物作りなんてやってらんないよぉ。ヘヘヘ。
時江 もういい……。(ト横になる)
次朗 え? どうしたの?
時江 ほっといて。めまいするの。
次朗 (背中をさすってやる)看護師さん呼ぼうか?
時江 いい。……。
次朗 ……? なに? 
時江 わたしにもしものときは、新しい奥さんもらってね。
次朗 またその話。もういいって。
時江 もらってよ。
次朗 言うなよぉ、そういうこと。
時江 もらうって言って。
次朗 わぁかった。もらうもらう。あんたよりもぉっと美人の奥さんを。
時江 (激しく首を振る)
次朗 なに?
時江 (次朗の耳元に……)
次朗 え? それはいや、わたしよりちょっとブスがいい? なんだよ、それ!
時江 ……。
次朗 元気になって、運動会いこ。来年な。来年がダメなら再来年。再来年がダメならササ来年。元気になればいつでも見れる!
時江 結婚して。
次朗 もう言うなって。
時江 約束して。
次朗 おれは結婚なんかしないよ!

   ト突然時江、口を押さえる。

次朗 ……あ! どうしたの?
時江 吐く。
次朗 吐くぅ? ちょ、ちょ、ちょっと待って!
時江 (吐く)
次朗 ああ! あぁあ!(思わず両手で受ける)いいからいいから。げっと吐いて。げっと……。
時江 ごめん……。
次朗 ……うん。うん。ちょっと流してくるから。横になっときな。横に。(外へ出る)そうっとね……。そうっと。

   次朗、部屋を出ていく。が、廊下で「あっ」とつまずいて手の中の吐瀉物をこぼしてしまう。

次朗 ああ、やんなるなぁ! クソッ。チクショウめ。
時江の声 どうした?
次朗 なんでもないよぉ。なんでもない。ゆっくり寝てな。(ポケットに突っ込んでいたハンカチで床を拭きつつ涙がにじむ)……なにが新しい奥さんだ。バカヤロウ。クソッ……。

   ト大垣が現れる。後ろから次朗の肩を軽く叩く。

次朗 え? あ、大垣さん。

   大垣、雑巾かなにかで床を拭き出す。

次朗 あぁ――すみません。やりますから、おれ。
大垣 いいから、いいから。
次朗 あぁ、すみませんねぇ。どうも。
大垣 立派よ。立派。
次朗 立派。だれが?
大垣 ご主人よ。
次朗 おれがぁ?
大垣 毎日毎日見舞いに来て。今もこうして。
次朗 そりゃ……そんなこと。
大垣 もう一枚。
次朗 え?
大垣 雑巾を、もう一枚。
次朗 あ。はい。

   次朗、素早く流しに行って雑巾を取ってくる。

次朗 あ、はい、どうぞ。
大垣 うらやましいわ、千石さん(時江のこと)。
次朗 うらやましいって?
大垣 わたしはね、早くに主人亡くしたでしょ。だから。
次朗 はぁ。
大垣 一人ぼっちだった。
次朗 そりゃ大変で。
大垣 さみしいわよぉ。すっごく。
次朗 そりゃね……。さみしいでしょうねぇ……。

   微妙な間。

大垣 でもね、次のがやさしかった。
次朗 次?
大垣 二番目。
次朗 はぁ?
大垣 旦那。ハズバンド。
次朗 あ、再婚されたんですかぁ?
大垣 五十過ぎて。
次朗 へええぇ。
大垣 やだ。そんなに驚いて。
次朗 ヤ。その、なんです、いいもんですか再婚ってのは?
大垣 そりゃあねえ。新鮮。
次朗 でしょうねぇ!
大垣 エキサイティング。
次朗 やっぱり。
大垣 (打って変わって次朗をじっと冷めた目で見る)……。
次朗 いやいやいや、(病室の時江を気にしながら)おれは再婚する気なんてないですけど。……そんなもんですかねぇ。
大垣 (床を拭き終わって)よっこらしょっと。
次朗 ああ、雑巾もらいましょう。
大垣 いいの、いいの。
次朗 すみません。(大垣が自ら流しの方へ)あぁ、ありがとうございます!

   大垣、去る。

次朗 大垣さんは汚れた雑巾を流しへ持ってってくれました。(しみじみと)身に沁みますよぉ、こういうときの親切は!

   中学校の運動会。
   運動会でよく流れる音楽。
   やがてフォークダンスの曲(オクラホマミクサー)へ。
   次朗、おにぎりを食べながら運動会の様子をのぞき見ている。

次朗 バカ言うなよ。お昼はコンビニ弁当でいいだなんて。運動会って言ゃあおにぎりだよ、おにぎり。朝早く起きて作ってやったのに、無視して置いてきや がった。(おにぎりをかじって)いけてるよ、これ。われながら。塩がきいてら。だいたい来なくていいってどういうんだ。親が見るもんじゃねぇのか、運動 会ってのはよぉ。なんでコソコソ(見なきゃなんない)。――お、いたいた。いいねぇ。ちゃんと手ぇ握れっての。先つまんで。なにしてんだ。ま、おれも中学 ん時は恥ずかしかったけどな。でもいいよなぁ、フォークダンス。いい思い出だ。中年になったら踊るなんてないもんな。

   次朗の後ろを笹河原先生(中年の男。ジャージ姿)が通りかかる。
   ト次朗に気づき、次朗の袖を引く。

次朗 うるさいな。今いいとこなんだから。だれ?
笹河原 千石まもる君の……(おとうさんですか)?
次朗 ……そうです。千石まもるの父です。
笹河原 笹河原です。担任の。
次朗 え。あ、先生。こりゃこんな所で、奇遇で。
笹河原 学校ですから……。
次朗 当たり前か。そりゃそうだ。
笹河原 あっちに、保護者の方のテントが。
次朗 ヤ、いいんですここで、おれは。フェンスの隅で。目立たない隅っこが好きなんです。お気遣いなく。
笹河原 しかし……
次朗 え?
笹河原 そこで、そうされてると……
次朗 あ、あやしいの? 変態?
笹河原 そういう意味じゃ――
次朗 いやいや、わかってますよ。最近おかしな野郎が多いですからね。もうね、ちょっと見たら帰りますんで。
笹河原 (去りかける次朗に)あの。
次朗 え?
笹河原 進路希望……
次朗 え?
笹河原 出してもらうことになってまして。今週中に。
次朗 ええ? 聞いてませんが?
笹河原 紙を渡してあるんですがね。
次朗 紙を、もらったン? まもるが?
笹河原 それが、今週中なんです。
次朗 期限過ぎてんですか? そりゃすみません。
笹河原 あれですから、よくご相談されて。
次朗 はい、すぐに相談して。わかりました。
笹河原 よろしくお願いします。
次朗 すみません。
笹河原 それじゃ失礼します。(保護者の席を指さして)あっち。どうぞ。
次朗 あ。移動しますから。どうも。

   笹河原、去る。

次朗 なんだ、ビックリしちゃったよ。担任だよ、まもるの。あんな顔してたんだ。ササガワァラなんて言うから、こんなかと(ひどい顔かと思ってた)。
   でもいいねぇ。フォークダンス。あれ何年前だろ。そうだよ、中学ん時だよ、時江と踊ったんだよ。踊ろうとしたんだよ。でも、チキショウ、あと一人ん とこで曲が終わりやがって。ドキドキして待ってたのに。手ぇ握れると思ってさ。それが、チャンチャカチャチャーチャ、チャンチャン(ト曲が終わる)、だも んな。でも、あんとき、次踊ろうとして指先が一瞬ふれたんだよなぁ。そんとき(指先に)電気が走ったみたいになって、恋に落ちちゃったン。

   次朗、オクラホマミクサーのメロディーを口ずさみ、まるでペアで踊る時江の手にふれるように、一人フォークダンスを踊る。

次朗 (オクラホマミクサーのメロディー)ンチャ、ンチャチャチャチャチャ、チャチャチャ……なんてな。この微妙な感じが……青春だよなぁ! ふふ。…… (ト指先を見つめていて……突然)あっ! ああっ! そうだよ。この感じだよ、指先の。この感覚だよ、大事なのは! おいおいおいおい、基本忘れてたよ。 ハハハ、これこれ!(運動会の学校を飛び出していく)

   病室。

次朗 (客に語りかけて)わたしはうれしくなって病院へすっ飛んでいきました。
   (時江に)わぁかった、わかったよ! 指だよ、指、指!
時江 (ある物を見つめていたが、慌ててそれを隠す)なに、あわててすっ飛んできて。
次朗 ええ? あわててないよ。ちゃんとね、運動会行ってきました、応援に。保護者の席すわって。障害物競走に、徒競走。それから騎馬戦ね。弁当食べた よ、まもると二人で。やっぱタコウインナーだよ。あれに目がないの。おにぎり食べてさ。塩きいてるぞ、もっと食えぇなんて。でさ、フォークダンス。今も やってんの、フォークダンス。思い出しちゃったよ。あんたとおれが最後の番で、
時江 最後?
次朗 ちがう。最後、回んなかったのよ、順番。んでもさ、曲が終わろうってぇときに手と手がこぅ、ふれあって。
時江 ……。
次朗 ……なんだよ。そんなフグが釣り針に引っかかって、ふてくされたみたいな顔して。
時江 ……。
次朗 あ、また具合悪いの。横になる? 横になった方がいいよ。またげっとなっちゃあ大変だ。
時江 断って。
次朗 なに?
時江 来たの。
次朗 来たって、だれが?
時江 徳丸さん。
次朗 徳丸社長来たの? ここに? ええ?
時江 これ置いてった。(ト先ほど見ていた見舞い袋を取り出す)お見舞い。
次朗 い、いくら入ってんの?
時江 (手で「五」と示す)
次朗 五千円?
時江 五万。
次朗 そんなにぃ?
時江 どうすんの?
次朗 ……いいよ、もらっとけば。
時江 でも。
次朗 見舞いだろ、もらっときなさいよ。
時江 なんで?
次朗 なんでって、その……
時江 なんで徳丸さんから? こんなに?
次朗 し、し、仕事してるからだよ。
時江 やっぱり!
次朗 ……。
時江 断って。
次朗 断ってって――払えないよ入院費。いったいいくらに。
時江 保険は?
次朗 へ?
時江 生命保険?
次朗 ほぉ?
時江 へ、ほぉ、じゃないわよ。かけてるでしょ生命保険。
次朗 かけてたよ。かけてましたよ。
時江 かけてたって、なんで過去形なの?
次朗 なんでって、その、なんででしょう?
時江 こらぁ!
次朗 解約しちゃったの。
時江 え~え!
次朗 (小声になって)サラ金に借金あっただろ。あれ払ったの。
時江 保険には手をつけないでって言ったじゃない。
次朗 んなこと言ったって、前の橋から渡ってかなきゃしょうがないだろ。
時江 プライドどこ行っちゃったの。
次朗 なに?
時江 職人の誇り。プライド。
次朗 おまえ、どこまで知ってんの?
時江 聞いたの、まもるに。作りたくないもんまで作ってんだって。酔っ払って暴れて。
次朗 バカ、ありゃ、冷蔵庫の戸が閉まんなくて――
時江 胸騒ぎするの。
次朗 んな心配しなくても。また具合悪くなっちゃうよ。
時江 ……。
次朗 部品だけ……作ってんだから。
時江 なんに使うの? なんの部品?
次朗 知らないよ、なんに使うのかなんて。たいていのもん知らないよ、作った先がどうなってんのか。
時江 でも――
次朗 知ってる物も、あるよ。知らない方が――いい物もあるの。
時江 わたしのためならやめて。
次朗 あんたのためじゃないよ。仕事なんだから。ヤ、みんなの、食ってくためだけどさ。――そんなんじゃないの。もぅ心配しなくていいから。
時江 うそ。
次朗 うそってなに。おれうそつかないよ。うそついたことないでしょ。
時江 眉毛が段ちがい。
次朗 またァ! そういうこと(言って)。

   間。

時江 もう一つうそついてる。
次朗 なに? もう一つって。
時江 七十パーセント。
次朗 七十パーセントぉ?
時江 言ったでしょ、わたしに。七十パーセントだって。七十パーセント大丈夫だって。
次朗 言ったよ、七十パーって。
時江 うそ。逆。
次朗 ――!
時江 ホントは三十パーセント。
次朗 ええ?
時江 三十パーセントなんでしょ、わたしの……確率……。
次朗 ええ!? なんで!? ――あ、バカ、あの医者! 細メガネ!
時江 聞いたの、わたしが。
次朗 おれが話すって言っといたのにぃ。
時江 わたしのことでしょ。
次朗 いつ聞いたの?
時江 きのう。
次朗 説明あったの?
時江 だから、わたしから聞いたの。本当のこと。全部。
次朗 アチャア……。

   時江、徳丸の見舞い袋を次朗の手に押しつけ渡す。

次朗 わかった。断る。断るって。返すよ、これも。
時江 なんか、別の仕事、ある?
次朗 んなもんあるわけないじゃない! これ当てにしてやってきたんだから。
時江 もう! 大きな声出さないで。
次朗 わかったって。
時江 工場じゃないんだから。他の患者さんに迷惑っ。
次朗 (ため息)ふうぅぅ……。
時江 ……。

   長い間。

次朗 ……じゃ、帰るわ。
時江 お願いね。
次朗 ン。
時江 本当よ。
次朗 ン。
時江 はい。
次朗 じゃ。
時江 気をつけてね。まもるに当たっちゃあやぁよ。
次朗 んな、子どもじゃあるまいし。
時江 ……。
次朗 じゃね……。(病室を出る)

   次朗の工場。

次朗 (客に)妻には断ると言いましたが……(自分に)でもな、作んなきゃ食えないんだから……。

   次朗、製品作りに取りかかる……遠く病室には心配げな時江の姿………

次朗 (作業する)手の感触信じて。機械に頼り過ぎてた。最後は自分の手。手ぇ信じてやるっきゃない。

   次朗、黙々と作業する………

次朗 (製品を見て)……こんなのどこに使うんだかねぇ……。これでおれも人殺しぃ、なんてね……。

   黙々と作業する……時江の姿は消えてゆく………

次朗 (製品が完成する。ためつすがめつ眺める。一瞬満足の笑みを浮かべる。が……)こんなもん作るためにあんのかねぇ、おれの手は。どっか世の中まちがってら!………

   完成した製品をじっと見つめる次朗………。
   …………
   矢竹の親父の家。
   次朗、完成した製品を矢竹の親父さんに見せている。

次朗 これ、見て下さい。
矢竹 別に、前と変わったとこはねぇようだが……
次朗 手に取って見て下さい。さわって。
矢竹 お。(手触りがちがう。製品を取ってじっくり見る)ん。……いいね。いいよこれ。よくやったな、おまえ。(不自由な手。それでも良し悪しがわかる)
次朗 フォークダンスがヒントになったんです。
矢竹 フォークダンスって?
次朗 運動会とかで踊る、あれです。
矢竹 ああ。おもしろいとこにヒントが転がってたもんだなぁ。
次朗 あの手と手がふれあうかふれあわないかって感覚が、今のおれには必要だったんです。
矢竹 ん。ん。
次朗 ……見てくれましたね。
矢竹 ああ、見たよ。
次朗 しっかり見てくれましたね。
矢竹 だから見たって言ってんじゃない。しつこいね。
次朗 じゃ、これはいいです。
矢竹 あ、なにする。

   次朗、完成した製品を拳で叩きつぶす。

矢竹 もったいねぇ……!
次朗 いいんですこれで。
矢竹 なんに使う部品かわかんねぇんだろ。だったら……
次朗 いや、知ってました。知ってたんです。でもこりゃ渡せない。できなかったって言います、徳丸には。バカにされるでしょう。ありゃ半端職人だって。でもおれは親父さんさえ、これ作ったって知っててもらえれば――
矢竹 暮らしは立つのかい? 金、いるんだろ。
次朗 時と場合によっちゃあ、それより大事なもんがあるって……。
矢竹 フン……。
次朗 バカですかねぇ……。
矢竹 バカだねぇ。――でもおれは、好きだ。
次朗 ――!(思わず熱いものが込み上げる)親父さん……!

   矢竹の親父から酒をつがれる次朗。
   無言で酒を酌み交わす二人……。
   …………
   次朗の家。深夜。

次朗 (客に)矢竹の親父さんの家で酒をたらふくご馳走んなって、いい気分でうちへ帰ってきました。それでも胸ん底の深いところは全然酔ってないみたいで……。
   (いい気分で歌う)♪ああ~ あなたに惚れた~ バカなわたしは捨てられて~とくら。♪バカはバカなり~ 恋したのぉ~かぁ。(冷蔵庫を漁る)ビー ルをね。一本いただきましてと。♪つまみはしゃぶったイカでいい~、と。ん? しゃぶっちゃダメか。ヘヘ。♪バカなわたしは捨てられて~~~(とビールを 飲む)

   ト部屋で物音。まもるが来る。

次朗 ん? まもるか。
まもる 酔ってんの?
次朗 酔ってない酔ってない。酔っ払ってるだけぇ。なんちゃって。
まもる ……。
次朗 あのね、ぼくね、まもるくんにひと言言っておく。職人なんかなるな。ね。つまんないよぉ、こんな仕事。物作ったってね。ましてやバネ屋なんか。
まもる 誇りに思ってるけど。
次朗 え?
まもる 仕事。とうさんの。
次朗 またぁ。心にもないこと。

   まもる、次朗に近づき、紙を渡す。
   その紙の角が次朗の手の甲にチクッと刺さる。

次朗 なんだよ、これ! 角チクッとしたよ、今。
まもる 進路希望。
次朗 進路希望?
まもる 学校に出すやつ。
次朗 ああ、これね。(紙を見て)ん? ん? 「第一希望・能率工業高校」。なに、工業高校って?
まもる 勉強ダメじゃん。だから、あと継ぐ。
次朗 なんの?
まもる だから、工場の。千石工業。
次朗 ええ? 工場のぉ? うちのぉ? あと継ぐぅ? なに、なに、突然。バカ、このぉ。高校いけ高校、普通科に。機械科はダメだぁ。物作りなんて。……(われ知らず相好が崩れて笑って)そぉうぉ。工業高校ぉ。機械科ぁ。あと継ぐの?(思わず笑う)オホホ。
まもる なんだよ。気持ちワルッ。渡したからね。サインしといてよ。(ト二階へ駆け上がる)
次朗 バカだねぇ。こんな工場つぶしたって構わねえのに。(涙ぐむ。二階にいるまもるに)おい。おいよ。人の役立つ物作れよぉ! よぉ。こんちくしょうめ! ハハ、ハハハハ……。(泣き笑い)

   病室。

時江 あなた、それで、泣いたの?
次朗 泣くわきゃないよ。(思わず涙の跡をごまかして)泣きゃしないけど。
時江 まもるがねぇ、自分で。フフ。
次朗 頑固だねぇ、あいつ。一度決めたら言うこと聞かねぇの。おれは普通科いけって言ってんのに。
時江 フフフ、似てる。
次朗 似てるって、だれに?
時江 あなたよ。
次朗 おれに? ちがうよ。頑固なのはあんただよぉ。
時江 フフフ。お互いさま。
次朗 ハハ、認めてやがらぁ。
時江 似た者夫婦だ。
次朗 似た者夫婦か。ハハハ。
時江 ハハハハ。

次朗 しかしどうすっかな。
時江 なにが?
次朗 これからよ。もう少し退院伸ばしてもらわなきゃな。いっそのこと二人でここで暮らしちゃおうか。
時江 バカなこと。
次朗 バカなことって、払うんだろ、退院するときに。(ト指でお金のマーク)
時江 そのことなんだけど。あなた作れるわよね、なんでも。
次朗 ん? 作れるよなんだって。仕事がありゃ。町工場の仲間もいるんだし。
時江 これ見て。(ト写真を取り出して見せる)
次朗 なに、これ? 跳んでるの? ジャンプ一発オロナミンC?
時江 もうっ。走り幅跳び。
次朗 へえぇ。かっこいいねぇ、この外人さん。この足につけてるの、義足だろ? ビヨヨ~ンって、バネの?
時江 パラリンピック。
次朗 パラリンピック? ああ。オリンピックのパロディー? パロリンピック。
時江 またぁ! 障害者のオリンピックよ。
次朗 わかってるよぉ。それでなんなの。こんなもん見せて。
時江 うしろうしろ。
次朗 (傍白)妻に促されて振り向くと、あの車椅子のあんちゃんがいました。相変わらずマッチョな胸板。

   目黒、車椅子に乗っている。

次朗 あぁ、どうも。こないだは。これ(写真)、なに、先生の? パラリンピック出んの?
目黒 いえ、今から。
次朗 あ、今から? 目指す?
時江 なにのんきなこと言ってんの。あんたが作んのよ、これを。バネを。スポーツ義足。
次朗 ええ? なになに? おれが作んの、これを? ビヨヨ~ンを?
時江 あんたじゃなきゃ作れないわよ。
次朗 なによ。急に褒めて。あ、さてはもう話進んでんな。
時江 (目黒と目を合わせて)フフフ。
次朗 (自分が作るとなると、急にマジになって)え? なに? スポーツ義足?(写真を改めて見て)んなもの、じっくり見たことなかったからなぁ。鉄の……バッタの足みたいだね、こりゃ。
目黒 競技用のって高いんですよねぇ。
次朗 ああ、競技用のはね、そうでしょうね。
目黒 特注になるんで、ちょっと試すってこともできないし……僕もゼロからの挑戦なんで、踏ん切りつかなかったんですけど……奥さんに背中押されて。
次朗 人のことになるとね、急に張り切るんですよ、この人(時江)。外面がいい。
時江 こら!
次朗 いや、なんだか(腕が)ムズムズしてきたよ。先生はゼロから、おれも一からの挑戦だな、こりゃ。
目黒 (時江と次朗を半々に見ながら)で、いくらかかるでしょう?
次朗 え? お金? いいよいいよ、払えるだけで。
時江 (次朗をつねる)
次朗 イテテッ。なにすんだよ。
時江 わたしの営業努力無駄にする気? (目黒に)ねえ?
次朗 言うねぇ。こちとらの腕があるからでしょ、仕事取れるのは、専務さん。(改まって目黒に)先生、いいの、おれなんかで。パラリンピック目指すんでしょ。正直、専門の業者に頼んだ方が。うちのがしつこくて断り切れなくなっちゃった、とかじゃないの。
目黒 ちがいます、それは。
次朗 ちがう?
目黒 むしろ勧められて、モヤモヤが吹っ切れました。感謝してます!
次朗 そう。ホホ。うれしいこと言ってくれるねぇ。よし! 作りましょ、日本一のビヨヨ~ンを。スポーツ義足を。いや、世界一の飛びっ切りのやつをね!  任せといてよ、この千石に!(目頭が熱くなって)……先生、ありがと。時江、ありがと。こういう仕事を――おれは、待ってたんだよ!

   ♪オクラホマミクサーが流れてくる。
   次朗、時江と向かい合い、手と手を『ふれあう』。互いの手を取り合いフォークダンスを踊り出す。次朗は車椅子の目黒ともフォークダンスを踊る。(目黒は車椅子に乗ったままペアの手を取って踊る)
   そこに次朗の母も出てくる。息子のまもるも出てくる。輪になってフォークダンスを踊る。主治医も、出番の少なかった医学生も出てくる。大垣さんも、足の悪い矢竹の親父さんも出てくる。笹河原先生も出てくる。みんなで楽しく手をつなぎフォークダンスを踊る………
   …………
   オクラホマミクサーの音楽の中、次朗がスポーツ義足の製作に取りかかる。試行錯誤。バネの具合を試してみる。膝を折り曲げて自分の足に着けてみたりする。思わずビヨヨ~ンとジャンプしてしまったり。懸命に作る。
   満足のいく出来に仕上がる。誇らしげな表情を浮かべる次朗。
   …………
   やがて踊りの流れの中で一人去り、二人去り……音楽が終わると、そこには次朗と主治医だけがポツンと残っている。
   病室。時は過ぎて………

次朗 (客に語りかけて)何事にも終わりと結末ってもんがあるもんです。矢竹の親父から「徳丸が捕まった」って電話がありました。お天道さんは見てらっしゃる――悪いことはできません。
   それと、そうそう、ようやく病院を去る日が来たんです。

   次朗、主治医としんみり話している。

次朗 ええ、突然でねぇ。思いがけない(ことで)。
主治医 力が、足りませんでした……。
次朗 ハァ……そんなこともないんでしょうけど。運ってやつですかねぇ。とにかくあっという間で。
主治医 ええ……。
次朗 励まされましたよぉ。ああいうときに人の情けがわかるっていうね……。

   時江、元気にやってくる。入院用の寝間着ではなく、普段着を着ている。

時江 あなた、行くわよ。(主治医に)どうもお世話になりましたぁ。
次朗 支払い終わった?
時江 うん。
次朗 (主治医に気兼ねして小声で)よく払えたねぇ?
時江 ヘソクリヘソクリ!
次朗 たいしたもんだ、あんたは! ……まもるは?
時江 下で待ってるって。
次朗 そう。……。
時江 なに?
次朗 ヤ、今ね、先生と大垣さんのことをね……。
時江 (大垣のいたベッドを見る)
次朗 ねぇ。ホントだよ……。
時江 (手を合わせる)……。
次朗 (手を合わせる……ふと病室から廊下を見て)あれれ? なんだよ、行列できてるよ!
時江 わたしのお見送りぃ、退院の。
次朗 ええ! みんなあんたのお知り合い?
時江 そうよ。入院中に仲良くなったの。
次朗 うわっ。(傍白)こりゃ当分死なないや。
時江 なんか言った?
次朗 なんでもないなんでもない。よし、行こう。(主治医に)んじゃ、どうも。お世話になりました。
時江 ありがとうございました。
主治 (躊躇なく時江ののどにさわって)うん。普段通り生活されて大丈夫ですから。
時江 (笑顔)はい。
次朗 それじゃ。(身の回りの荷物を持つ)
時江 (次朗をつつく)あなた。
次朗 わぁかってるって。(主治医に)あ。なんか病院で作りもんがあったら言って下さいね。安くしときますから。棚でも手すりでも、なんでも作りますから。
主治医 ほぅ。
時江 この人、こう見えてもいい仕事するんですぅ。
次朗 こう見えてもは余計だよ。あ、うちの電話番号はね、45の11〇4。
次朗/時江 (声を合わせ、次朗は電話番号を宙に書きながら……電話番号と語呂合わせで)千石工業、いいもの作るよ!
次朗 覚えやすいでしょ。ね!
時江 (主治医に)それじゃ、どうも。オホホ。お世話になりました。ごめん下さい。(観客を患者や看護師に見立てて、別れの挨拶をしながら去っていく)み なさん、ありがとうございました。あなたもお大事にね。ありがとうございます。オホホ。元気出してね。またね。それじゃ。オホホホ………
次朗 ヤ、みなさんどうもどうも。お世話さんでした。ありがとさん!

   音楽、高鳴って。
                         (幕)