ひとり芝居
   千石がゆく
           作・広島友好




   ○とき……ちょっとだけ昔のこと。

   ○ところ…日本のどこか。
        町工場のある町。
        千石次朗の妻、時江の入院している病室をメインに。

   ○ひと……千石次朗(せんごくじろう)





   《千石次朗を演じる役者、出てくる。作業服姿である》

千石次朗を演じる役者 ようこそお越し下さいました。ありがとうございます。これから小一時間ほどお芝居にお付き合いいただきます。
   ええ、この間……ちょっと前になりますが……妻が手術をしまして。このぉ、左ののどにこぶができたんですね、このぐらいの(子どもの拳ぐらいの)。 甲状腺ってやつが腫れまして、ストレスじゃないかっていうんです。妻の連れ合いの夫が……つまりわたしなんですけども……日頃なにやってんだかわかんな い。んで、ストレスが溜まるという。
   のどをこぅ切り開くんだからあぶない手術にはちがいありません。下手すると声帯を傷つけて声が出ないかも。
   手術が終わるのを待ってる間ってのはヤキモキしますねぇ。予定時間を過ぎれば過ぎるほどあぶない、なんて医者から脅しと言いますか説明を受けてまし たもんで。ひょっとして当初の医者の見立てより悪いんじゃないか。取り出したこぶの腫瘍が厄介なことになってて、元に戻したりなんかしてんじゃないか。も うちょっと生きてる間にやさしくしてやれば良かったなぁだとか、いろいろ考えてしまいました。(ト客席の隅を指さして)まだそこにピンピンしておりますけ ども。
   さて、きょうのお芝居はそんな体験を織りまぜての、虚と実まぜこぜの夫婦の物語です。

   《柝(拍子木)が一つ入る》

千石 今、妻が手術中です。(自分を手で示して)ある男千石次朗が、その妻時江の手術の終わるのを待っています。
   ここは病棟のロビー。エレベーター前。予定時間がどんどん過ぎていく。隣の食堂……デイルームからは昼のニュースが流れてきます。――遅いなぁ。朝 九時に始まって昼の十二時前には終わる予定なんです。手術患者専用のエレベーターが開くたびに、身を乗り出す。が、無人だったり、白衣の人が降りてくるだ け。手術室は三階にあり、わたしの待っているのは六階。じりじりと不安が募ってくる……。
   手術の二日前、若い主治医からこんな説明がありました。わたしには難しい言葉が並んでいましたが。

  「(主治医に)疑われる? 疑われるって、どういう(意味ですか)? 悪性ですか……。こぶが……。手術しないとはっきりとはわからないけれど、悪性と疑われる……」
   妻は隣で大人しく聞いていました。すでに医者から大まかな説明は受けているらしい。
  「その、のどを切り開いて、こぶを取るわけですね? それでそのこぶを手術中にパッパッと検査しちゃう、取りあえずのね、簡易検査を。で、一応悪性か 良性かはっきりすると。で、どうなるんです? そのこぶが、悪性だったら? ああ、もう一度ね、精密検査してから、確定すると……」
   頭がまっ白になるってことあるもんですねぇ。わたしは黙り込んで、若い医者のかけているメガネを見ていました。えらい細いフレームだな、と。
  「え? なにかご質問? ご質問って言われても」
   そのとき医者が首からぶら下げているケータイが目に入った。と、居ても立ってもいられない。
  「先生、そのケータイ。そう、それ。おれが作ったの。いやいやいや、全部じゃなくて、中のバネ。こんなちっちゃいの。うちの工場(こうば)で。(時江 に)恥ずかしいって、なによ。本当のことなんだから。(主治医に)え? バネがあるんですかって、たいていの物はバネがあるんですよ。ここなんかピッとな るでしょ? うちの工場はちっちゃいんだけど、いろんなもん作ってんですよ。ここ(腕)をね、あれ(信用)してもらって。生き残るの大変なんだから、うち みたいな町工場(まちこうば)は。いいもんをね、こぅ安く作んないと。
   ――え? ご質問? ああ、ご質問。……ありません。お任せします、先生に。よろしくお願いします」

   妻と二人面談室を出て、病室へ戻りました。
  「(時江に)そんな、難しいことはわかんないよ。レントゲン写真見せられて、MRとか、CTとか。こっちはまな板の上の鯉、任せるしかないんだから。ね。
   え? まもるにも聞かせれば良かった? さっきの説明? こぶの話ぃ? めったにない機会って、そりゃそうだけど。恥ずかしいよ。勉強にはなるだろ うけど、やっぱ恥ずかしいよ。親子連れで。え? 突然ケータイのバネ自慢しちゃうのと、どっちが恥ずかしいのって、バカ。ありゃ、目の前ぶら下がってたか ら。
   ……んで、あいつ受験どうすんの? まもる。さあって、聞いてないのおまえ。ダメだよ、そんなんじゃ。ヤ、どうしろってことないけどさ。ま、いっ か、うちの工場で働けば。――ほら言うだろ、そうやって。でもやっぱ高校ぐらい出とかなきゃなぁ。おれだって工業高校出てんだから。なに? 今の成績だっ たら私立がやっと? しりつって、わたくしりつ? う~ん。私立はダメだよ、金かかって。
   おれが? まもるの? 英語とか数学とか? 英語はダメだよぉ。ジンマシン出るもの。サンキューで、舌噛んで、血ぃ出たことある。本当だって。おふくろに聞いてみ。
   え、なにを? 心配すんじゃないよ。払うよ。払えるよ。(急に不安になって)いつまでに払うの? 書いてある、入院の栞に? え、退院するときに精 算って、その、全部払えってこと? 全額ぅ? キビしいねぇ。払えないとどうなんの? え? 追い出すの、病人を? 『お金払わなきゃ病人じゃない』。病 人じゃなきゃ、なによ? ゾンビ? ははは。分割になんないの、入院費って。ダメ。ヤ、わぁかってる。当てはあるんだ当ては。心配しなくていい。借金じゃ ないよ。一つ大口の仕事頼まれてんだ。――ん? どこって、専務のおまえが知らないとこだってあるんだよ。……ほら、だから……徳丸興業。(時江が驚いて 心配する)大丈夫ぅって、なに? 大丈夫だよ。言った? おれが。あぶないって? あの社長を? 喰わせもん。言ったそんなこと? 言わないよぉ、おれ。 ヘヘヘ……」

   (客に)徳丸興業の徳丸社長ってのは、得意先の一つなんですが、みなさんにも一人や二人いると思うんですけど、できればあまりお付き合いしたくない類の人でしてねぇ。なんかトラブルに巻き込まれる。先日も仕事の電話があったんですが、うやむやに断ったんです。
  「(電話をしている)ああ、社長。なに、忙しいってほどでもないけど。仕事? うん。大口の。また訳ありなんじゃないの。ヘヘ。この間みたいなの、い やだよぉ。お縄もらっちゃ商売どころじゃなくなるからね。ヘヘヘ。人工衛星? ホントにぃ? あの宙浮かんでるやつ? バネ使うの、人工衛星で? う~ ん、ちょっと待って、仕事の段取りつけなくちゃあれだから。うん……うん……、三日以内にね。返事を。はい。わかりました。んじゃ、どうもです。(電話を 切り、微妙な表情を浮かべる)」
   と、また電話がかかってきた。これは、別口。
  「(電話に出て)はい。千石工業。はい。(ばつの悪い顔)あ、どうも……。いや、それがね、かみさんが入院したりなんかして。いや、わかってますよ。 関係ないっちゃ関係ないけど。そりゃもちろん。……一週間待ってもらえますか。ダメ? 月曜? 二万円? キビしいなぁ。いや、仕事入ることになってんで すよ。現金の。大口の。はい。はい。わかってます。払いますよ払います。月曜に二万円ね? 返します、借りたもんは。はいはい。はいはい。(電話を切る) チッ……。ふうぅぅ……。(ト大きなため息)」

   《病室……時江とのシーンに戻って》

千石「ん? あぁ? なんでもない、なんでもない。ボーッとしてただけ。
   片付いた? バスタオルなんかある? 箸やなんかは? 他にいるものは……と。
   え? 変な仕事ならって、なによ? さっきの話? 徳丸? 断る断る。心配しなくていいから。なにが綱渡りよ。仕事? 生活? どっちも? 落ちず にやってきたじゃなぁい。落ちずに。今まで。運がよかっただけって、バカ。おれの腕があるから――『わたしがいなけりゃ何回倒産してたか、わたしの営業努 力』。そりゃ、それもあるだろうけど。だれのお陰って、バカおまえ。んなの決まってんだろ。――はいはい、そりゃもちろんあんたのお陰。あんたなくしてお れはなし。ハハハ。なんちゃって。ハハハハ。(優しく笑い合う)」……

   《病棟のロビー。エレベーター前……冒頭のシーンに戻って》

千石「そんな手術前のあれこれを思い出すともなく思い出していたら、エレベーターの扉があいた。滑り出てきたのはストレッチャーに乗せられた妻。口には酸素マスク。点滴をぶら下げている。妻の前後を挟むようにして、手術着姿の担当医と研修の医学生がいた。
  「あっ、こりゃいかん」
   病室へ向かう妻のあとを追いながら、あっ、こりゃいかんと思ったんです。なんでって、前を行く医者二人の暗いのなんのって。うつむいて背ぇ丸めて。その背中の重いこと。どよぉ~っとしちゃって。こりゃいかんなと思うじゃない。
   妻は病室のベッドに移され、術後の処置を施されてゆきます……と、若い主治医がわたしを振り返った。『ご主人、見られますか?』
   なにを見るのかってえと、妻のこぶです。のどについてた。そのこぶを見せながら手術結果を説明してくれるという。わたしは妻を病室に残して、小走りに主治医のあとをついていきました。
   ナースセンターで見せられた妻のこぶは、正直気持ちのいいもんじゃなかった。ジャムの瓶ほどのプラスチック容器にホルマリン漬けにされていました。 『どうです?』なんて見せられて。……それはまるで子どもの心臓のよう。赤黒くてちょっとグロテスク。筋肉の塊のようでもあり、焼き肉のレバーのようでも ありました。
  「うわっ、これねぇ。こんなになって。ええ? 中から浸み出してた、こぶの中から、悪いもんが。ベトォッと。へぇ。癒着してたんですか、これが。はあ、リンパ腺も取っちゃって。それで手術時間が延びた?
   (「こぶ」の入ったプラスチック容器を主治医に戻しつつ……)んで、ほれ。あれ。なんてったっけ、すぐわかるやつ。そうそれ。簡易検査。したんでしょ? ね。どうでした? 驚きませんから。ええ、ズバッと言っちゃって下さい。
   ――悪性。ふぅん。悪性ですか……。(動揺して)悪性ってのは悪いってこと?
   ややや。わかってますよ。簡易検査ってんでしょ? で、この先どうなんです。(生存)確率というか、治る見込みは。知っとかないと。覚悟ってあるで しょう。なんの準備するにしても。思い切って言っちゃって下さい。――わかってますよぉ、くわしく調べないとわかんないのは。精密検査でしょ。でもね、そ の間どうすりゃいいの?
   はい。目安ね、あくまで。はい。…………三十パー。三十パーセントですか。もうちょっとなんとかなんない? 七十パーセントはダメってことでしょ! ああごめんなさい。ダメなんてことじゃないよね……。
   よろしくお願いします。しっかり治療してやって下さい。あ、かみさんにはおれから言いますから。先生言わないでね。ショック受けちゃうから。おれからやぁんわり言っときます。ね。で、おれがいいって感じてから、先生に説明してもらうから。ね、約束だよ。約束」

   《病室》

千石 病室に戻ると、妻は麻酔で朦朧としていました。けれど、入れかわり立ちかわり看護師や主治医がやって来て、『どうですかぁ? 気持ち悪くないですかぁ?』なんて声かけするもんだから、本人はおちおち眠ってもいられない。

   《ベッドに横になっている時江に呼びかけられる。時江は手術直後であまり声が出ない。首に包帯をしている。時江の口元に耳を持ってきて……》

千石「え、なに? ありがと? バカ。いいんだよ、夫婦なんだから。(軽口で)夫婦だよな、おれたち? ハハハ。具合悪くない? 『悪いに決まってる』。 そりゃそうだ。うん。目つぶっときな、麻酔効いてんだから。ハァ? 見たかったって、なにを。こぶ? こぶね。あんたの? ついてたやつ。すごかった よぉ、子どもの心臓ぐらいあった。こんなの(ト自分の拳で大きさを表現する)。ホントに。子どもの心臓なんて見たことないけど。もうね。レバーみたいで、 こぅ毛ぇ生えてた。ホントだって。生えてたんだって。先生、学会で発表するって言ってた。ハハハハ。
   でって? どうだったって、だから毛ぇ生えてた。ちがう? んぅ……どっちって……あ、悪性だった。――あ、悪性なんだけど、大丈夫なんだ。三十 パー……じゃなくて、七十パー、七十パーセントなんだ。そ、そう。良くなるの、七十パー。七十パー大丈夫なんだって。そう言ってたもん、医者が。おれに。 七十パーセントって言やぁ、もうすぐ八十だよ。九十パーは目の前だ。ハハハ。……心配することないから。うん。ね。もうちょっと寝てな。ここいるから。う ん。な。……」
   (時江の眠ったのを確かめて――客に小声で叫ぶように)いけませんか、このぐらいのうそ! 悪性を良性だと言ってるわけじゃあない。三十パーセントを七十パーセントと……ちょっとこぅ開きはありますが……いいじゃないですか!

   《千石、時江を見、天を仰ぎ、柏手を二つ打ち、祈る》
   《ト病室の外に出て、ケータイのかけられる所を探す》

千石 ところで、病棟の中ってのはケータイをかけられる場所がなかなかないン。それもちょっと訳ありの電話をね。
  「(人目を気にしつつ電話をする)あ、徳丸社長。千石です。ん、この間の話、人工衛星。あれ、やるから。やらして下さい。
   ――ええ? もう決まっちゃったの、他所に? そう? う~ん、困ったなぁ……。
   別の――仕事? うん、なんだってやりますよ。うん、えっ……そんなにもらえんの? 難しい? そりゃ簡単な仕事じゃないでしょ、金がいいんだか ら。まず、サンプルをね、雛形。それで大量に作るン? ああ、作るのは海外でね。やっぱちがうでしょ、日本のバネは。経費見れないの、うまくいかないと?  うん、いや、うまくやってみせるから。コスト抑えてね。はいはい。じゃ、くわしいことは……。頼んます。どうも。(電話を切る)ふうぅぅ……」

   《明るくコミカルな音楽》

千石 妻が化学療法の治療を始めました。落ち込んでるだろうから励ましてやろうと思いました。きっと良くなるんだからってね。
   ……でも症状が安定してるのか、妻はアッケラカンとしている。同じ病室のお向かいさんとペラペラお喋り。もう仲良くなってやんの。

   《同じ病室の患者大垣と時江の会話。大垣さんは五十年配のおばさん。千石がひとりでふたりのおしゃべりをやってみせる》

千石「(時江のおしゃべり)こんな、子どもの心臓ぐらい。子どもの心臓なんて見たことないけど。ちょっと毛も生えてたって。先生、学会で発表するんだっ て。フフフ。ストレスよ、ストレス。ストレスの塊。仕事不景気でしょ。うちなんか零細企業で、毎日が綱渡り。落ちないでやってこれたのが不思議なくらい。 フフフ」
   とこんな感じ。
  「(大垣のおしゃべり)あら、ご主人が元気なだけいいわよ。うちなんか若いころ連れ合い亡くして。三十三(歳のときに)。それから、もう、息子二人育てるのに、大変。やっと、のんびりと思ったら、これ、ガン」
   と向かいの……大垣さんっていうんですが、負けてない。お喋りなんです。暇だねぇ、二人とも。
  「(時江)それじゃ、また。あはは」
  「(大垣)またね。ふふふ」

千石 とそこへ、見知らぬ男がやってきた。筋骨隆々、寝間着の肩が筋肉で盛り上がってる。さわやかな笑顔。白い歯。短く刈った前髪がピンと上を向いている。挨拶も気持ちいい。『こんにちは。千石さんですか』
   病院にこんな男は不似合いだった。ただし男は、車椅子だったけどね。
  「(車椅子の男に)千石はうちだけど、なにか? あ――、かあさん!」
   車椅子の男のうしろから、突然おふくろが姿を現した。
  「どうしたの? もしかして、迷子? またぁ?」
  『(母の口調で)この病院広過ぎるわ。まるでデえズニーランド!』
  「なに言ってんの!? ちゃんと教えといただろ、615号室だって。え? 516? 516じゃないよ。階数ちがってるよ。(車椅子の男に)え、お宅 の部屋ですか、516。んで、おふくろをここまで連れてきて下さった。すみませんねぇ、どうも。ご迷惑だったでしょ? 年いってボケてきましてね。(母が 千石のそばまでツカツカとやってきて額を指で小突く)イテッ。ホントじゃない。そりゃ見舞いに来てくれたのはうれしいけど。もうこぶ取ったから大丈夫な の。すぐ良くなるんだから。ホントだよぉ。なにも隠してないよ。え? うそおっしゃい? おまえは子どものころからうそつくと、眉毛が段ちがい平行棒にな る? ンン?!(ト上目遣いで自分の眉毛を見ようとする)――んな、バカなこと言ってないで。自分が病人みたいなもんなんだから。いいの、見舞いに来なく ても。(時江に)いややや、別にそう言うんじゃないけど。おふくろの体心配して。心臓も弱いしさ。外暑いし。やさしくしてるじゃなぁい。な、おふくろ。 え、なに? 安心したら、汗かいてきた? チッ。服脱ぎなよ、服。(びっくりして)何枚着てんの!? 下着二枚も重ねちゃって。……ほら、なに、胸押さえ て。やだよ。心臓苦しい? お、お、お! こんなとこで倒れんなよ! 大丈夫か、かあさん?(母が何か千石につぶやく。母の口元に耳を近づけて)え? な に?  良かったぁ病院で? バカ言ってんじゃないよ!? 看護師さぁん! 看護師さぁん! (客に)どなたかお医者様はいらっしゃいませんかぁ!」

   《明るくコミカルな音楽》
   《このあとこんな芝居があってもいいかも……千石ひとりの無対象の演技で》
   《千石、母を抱えて介抱しながら、車椅子の男に医者を呼んできてもらうように頼む。時江の持ってきた濡れタオルで、母の額やあごの下の汗を拭う。時 江の主治医がやってきて、母に注射を打つ。千石はそれを横ではらはら見守る。母がけろりと元気になり安心する……などなど、あわてふためきつつ》

千石 そんなこんなで入院生活の一日は過ぎていきます。うちのおふくろは注射打ってもらったらケロッとして帰っていきました。
  「(母を見送る)ったく……気ぃつけてな!」
   ところで、わたしの方はってえと、徳丸社長から引き受けた仕事を早く片付けなくちゃなんない。でもこれがなかなかうまくいかない。なんて言うんで しょう、規格外の物なんですねぇ。どこの部品に使うのやら。ま、簡単なら他に持ってく仕事なんでしょう。難しいからこっちへお鉢が回ってくる。それをやる から商売になる。でもぉ、どっか焦りがあるのか、行き詰まっちゃいましてねぇ。にっちもさっちもいかない。んで、思い切って、昔お世話になった金型職人の 矢竹の親父の所へ相談に行ったんです。

   《矢竹の親父の家》
   《矢竹の親父さんは脳梗塞の後遺症で右半身に麻痺があり、言葉がやや不自由》
   《千石、矢竹の親父さんに作りかけの製品(バネ)を見せている。(落語風に演じる)》

矢竹「(矢竹の話す言葉はすべてろれつが回っていない)ん、これかい?」
千石「なんでもいっぺんにたくさんの物を跳ね飛ばすとかで」
矢竹「タコみたいな形だね」
千石「機械で計っても誤差出ちゃうし。どうしたもんかと」
矢竹「おれなんかダメだよ。手がこんなだもん、脳梗塞で」
千石「そりゃ知ってるんですが」
矢竹「右側がね、効かないン。みじめなもんだ。手が使えりゃ、職人なんて怖いもんなし。年金もいらないや。でもね、見てくれ。これが現実だ。つらいよ。言葉もままなんない。だぁれも寄りつきゃしない。それにね、時代がちがう。おれがやってたころとは。道具もなんも」
千石「はあ……」
矢竹「昔は手が喜ぶなんてこともあったが、作ってるうちに手の方がうまい工夫見つけ出して。今はダメだ」
千石「でも、目は確かでしょ」
矢竹「ん?」
千石「物を見る目は」
矢竹「(自信を取り戻したように笑って)ああ。ああ。……(バネの製品を見て)これな。こりゃなんか語りかけてこねえな。うまい仕事はしてるが。迷いがある」
千石「強度があって、小さい。その上安い。この三つを兼ね備えなきゃなんないんで」
矢竹「ふむ……。(バネを見ている)」
千石「行き詰まっちゃいましてね、そこんとこで」
矢竹「ところで、大丈夫なのかい?」
千石「え?」
矢竹「あの野郎だよ。徳丸。いい噂は聞かねえが」
千石「そりゃ、ま……信じるしか。金払いだけはいいですから」
矢竹「奥さん悪いのかい?」
千石「え? まあ……」
矢竹「貧すれば鈍すって言葉もあるからな。バカな仕事引き受けて腕汚しちゃいけねえよ」
千石「それは……大丈夫です」
矢竹「ふむ……。どうだ、一杯(いっぺえ)やってくか」
千石「見舞いに行きますもんで、病院に。着替えやなんか、その」
矢竹「できた奥さんだったな、おまえんとこは」
千石「は」
矢竹「ありゃ、いい女房だ」
千石「なんスかね、この仕事うまくやり遂げたら、嫁さんもちょっとは良くなる気がして」
矢竹「ふん、願掛けかい」
千石「そんなもんでもないんですけど……」
矢竹「大切にな。おれはかあちゃん亡くして……独り身はつらいぜ」
千石「はい」

   《病室。時江、食事中》

千石「なに、これ?(食事に添えられた紙を見て)Aは金だらめの塩焼き。Bは万作(まんさく)。あしたの献立? ああ、食事の選択できんの。金だらめって なに? 魚? 金だらめっているの。ふぅん。万作も? 魚。あ、そう。で、どっちにすんの? あ、選ばないと自動的にAになるの。どっちか選ばせるわけ だ。不満解消に。肉はないの、肉は。魚の方がいいの。そう。……お粥美味しい? 飽きない? 毎日食べて。たまにはご飯にしたら。『引きつるの、まだのど が。ちょうどいいの、お粥が』。(覗いてみて)のどがねぇ……。わぁったわぁった、邪魔しないよ。
   仕事? うまくいってるよぉ。いつも見舞いに来てるから、心配? バカ言って。来てないときは仕事漬けだよぉ。変な仕事だったら、断ってねって、な に?  徳丸社長のこと? ハハ、断っちゃったよ、あそこの仕事は。今やってんのは、別の仕事。そう、別口。ヘヘヘ……」

  「……んでもさ、例えばなに? いや、どんな仕事なの、変な仕事って、あんたの言う? そう、例えば。――バクダン?! 戦争の武器?! ハハハ。お もしろいこと言うねぇ。いやいや、この日本で、なんでおれんとこで戦争の武器作るわけ? オモチャだよ、オモチャ。今の仕事、オモチャのバネ作ってんの。 バッーンていっぺんに飛び出るやつ。四方八方に。――知らないよぉ、どんなオモチャかなんて。タコみたいなもんだろ。タコ。言われたもん作るだけなんだか ら。その先知らないよ。あぶないなぁって、いつものことじゃない。――え、あの社長だから? だから、徳丸の仕事じゃないって。『うそ。眉毛が段ちが い』。――ええ!?(思わず立ち上がって眉毛を隠す)バカ。心配いらないっての。ホントだって。もしもんときはスパっと断んだからおれだって。スパっ と……」

  「まもる? ン。運動会だよ、もうすぐ。作れるよぉ、弁当ぐらい。あいつの好きなもんって言ったら、タコウインナーに卵焼きなんだから。子どもじゃな いって、子どもじゃない。中三? だからなに。年頃ぉ? んなね、男はみんな通った道なんだから。思春期たって、そんなもん変わんねぇよ。
   ……で、どうするって、なにが。進路? 知らない。――聞いたよ。聞いたけど言わないんだもん、あいつ。おれのこと避けて。心配いらないって。いざ となりゃ、うちの工場継げばいいんだから。――押しつけてないよ。押しつけてないって。押しつけないけど、ちっちゃいころから物作るの好きだったんだか ら。血だよ。血。(食事をしながら時江がジロッと睨んでくる)なんだよ……チェッ」

  「なによ……こないだの話? 『わたしに――もしものことがあったら』。もしもなんてないよ。七十パーだよ。いや八十だよ。――え? わかった よ……。(「聞いて、わたしの話」と言われて黙る) ……ン。……ン。気兼ねとか遠慮とかいらな(いからって)――ン。……ン。いい人できたらって、な に? 新しい人と結婚していいからって? バカ、おまえ。
   もう言うなよ。おれはね、中学ん時からおまえが好きで、一緒になったんだから。工場大きくすんだから。それが夢なんだから。おまえと、まもると―― 言わないよ、まもるには。わかってるって。おれも言わない。だから、おまえも言うな。新しい連れ合いとか。気持ち落ち込むから。――わかったって。な、も う。……」

   《時江が食事を終わり、食器など片付けだす》

千石「んで、あれだ、他に変わったことない? お礼言ってきたって、だれに? 目黒さん? ああ、あの車椅子の、好青年。マッチョの。へえ、体育の先生な の。でも、足怪我しちゃっちゃあ大変だね。え? 片足ひざから全部……(切断)? ありゃありゃ、かわいそうに。交通事故で。高速で巻き込まれたン。そ うぉ。意地悪だねぇ、神様も。へええ、リハビリ、義足つけて。偉いねぇ。見るからにがんばり屋って感じだもんね、ありゃ。陸上。大学で。走り幅跳びやって て、いいとこいった。国体出てんの、そう。で、今なにしてんの、仕事? あ、高校の先生。体育の。ふぅん。でもそりゃこの先大変だわ。
   でも、あんた、あれだね。すぐ友だちになるね。そこがいいとこ。ホント、それだけ。――じゃなかった。それが特にいいとこ。人間一つぐらい長所はあ る。ヤ、向かいのおばちゃんともさ。ン、大垣さん。ね。すぐあれしちゃうし。仲良くなっちゃうし。(時江に耳打ちされる。思わず小声になって)え、ガンな のおばちゃん。末期?! ガンが多いね、ここは。あ、病院か、ここ。ハハハ。でもあんたの方がずっと元気そうだよ、おばちゃんより。――え?(慌ててごま かして)あ、お、あ。に、憎まれっ子世にはばかる。なぁんて。イテテテ(時江につねられる)。うそだよ、うそ。ヘヘヘヘ」

   《明るくコミカルな音楽》

千石 その夜遅く、矢竹の親父から電話があった。徳丸社長のことだった。なにか良からぬ噂を聞いたらしい。(矢竹の口調で)『あぶねえ仕事だから、よく確かめろ』って……。わたしはすぐに徳丸社長に電話した。
  「(電話している)いえね、ちょっと心配する人がいて。オモチャって、どこのオモチャなの? そりゃバネ作るのに知らなくていいんだけどさ。外国へ送 るって言ってたよね。組み立て作業するって。それってどこ? 言えない? 言えないの。訳ありの国はいやだよぉ。言えなかないけどって、どういう? え、 知らなくてもいいんだけど、心配する人が。
   土ん中埋めんの? オモチャを。オモチャを土ん中埋めてどうすんの? ハッ、にぶい? オモチャが? え、おれ? 土ん中入れてバネでいっぺんに跳 ね飛ばす?……オモチャみたいな……怖いもの? ――なに、もしかして、あれ? 地雷とか!? ダメだよぉ、社長! 言ってくんなきゃ! なぜって、うち のが嫌がるんだもの、そういうの。絶対ダメだって。え? 今入院中なんだけどさ、体あれして。んなことはどうでもいいけど。
   そりゃ、部品だよ、部品。そのものじゃないよ。でもまずいよぉ。頼まれた物作りゃあいいってね、そりゃそうだけど。――やっぱちがうよ。
   朝鮮とか、ベトナムとかそんな古い話持ち出さないでよ。おれはないよ、作ったことなんて。女房が嫌がるんですよ。とにかくね。――ちょ、ちょ、 ちょっと待って。断る……とは言ってないじゃない。嫌がるってことを。バレなきゃいい? バレなきゃわかんないけど。世の中いくらでもいるでしょうよ。ガ キじゃないんだからおれも。
   ここまで知って引き返せないって、なに? 脅し、それ? あぶないから儲かるっても。
   弱ったなぁ。……前金払ってくれんの。ん~そりゃいろいろ物入りで助かるけどさぁ。
   ――なに、それ。聞き捨てなんねぇな。ホントはできないんだろって、なに? そんな半端職人じゃないよ。これで飯食ってんだから。できるよぉ。でき るさ。できるけども……あ、できないんならそう言ってってなに、他所に回すって。――やるよ、やってやるよ! やりますよ! 納期までにきっちりと。いい もん作るよ。ン。ン。んじゃ。はいはい。はいどうも。(電話を切る)
   ん~、こりゃ変なことになっちまったなぁ。嫌がんだろなぁ。ドッーン、バッーンだもん。弱ったぁ……」

   と、玄関で物音がしました。まもるが帰ってきたらしい。
  「(さっきまでの乱れた感情をグッと隠して)おう、遅かったな。部活……? 長引いた……? 腹減ったろ、走り回って。今、飯作るからな」

   《冷蔵庫を開ける。晩飯の材料を取り出す。台所で慣れない料理の支度。(パントマイムの演技など)》

千石「あれだ、かあさんな、ぐんぐん良くなってるぞ。近いんじゃないかな、退院。……うん。だといいけど」

   《料理に取りかかる》

千石「なんだぁ? 手ぇよく洗え?(自分の手を見る)ん? 汚い、爪が? バカ、こりゃ落ちないんだよ、油が染み込んで。……」

   《手を一応洗う。鼻歌など歌いながら野菜を切る》

千石「それと、あれだ、今度の日曜な、運動会。かあさん行けなくてあれだけど。弁当作ってやっから。心配しなくていい。
   ……なに? なんでだ。いらないのか、弁当? あれか、出るのか学校で。――来なくていいって、なんだ。怒鳴ってないよ。約束したんだからかあさん と。おれが弁当作って、おまえの好きなタコウインナーと卵焼きで――なんだその口のきき方は! いらないってなんだ! だれに食わしてもらってると…… (まもるが二階の自分の部屋へ駆け上がる)待て、こら! 話を聞きなさい。おぉい! 二階行きやがった。……チッ。どいつもこいつも。だれのためだと思っ てんだ! 作りたくないもんまで作ってよぉ。クソッ。このぉ! バカヤロッ……!(冷蔵庫の扉をバンッ!と蹴る――つま先が痛い)アッタタタタ……!」

   《病室》

千石「(つま先を撫でながら)生意気になったよぉ。いやだってぬかしやがって、タコウインナー。もう、タコの年でもないって? じゃ、なに。次はイカリングかよ。ハハハハ……ァ。
   え? 見に行きたかったな……? 最後? そりゃ中学最後だけどさ。ウゥン、ちがう? なに。『わたしが最期かも。行けるの。運動会』。またバカ 言って。『七十パーセントが五十や三十に』って――なんでそうネガティブなんだろねぇ。今年見れなかったら、その分来年の運動会はすごいだろなァ。感動す るだろうなァって。そう思わなきゃ。前向き? おれ? フン。前向きじゃなきゃ今どき物作りなんてやってらんないよぉ。ヘヘヘ。
   え? どうしたの? 横になる。具合悪いの。めまいするの。(背中をさすってやる)看護師さん呼ぼうか? いい? ……? なに。わたしにもしもの ときは、新しい奥さんもらえ? またその話。もういいって。言うなよぉ、そういうこと。――わぁかった。もらうもらう。あんたよりもぉっと美人の奥さん を。……なに? それはいや、わたしよりちょっとブスがいい? なんだよ、それ!
   元気になって、運動会いこ。来年な。来年がダメなら再来年。再来年がダメならササ来年。元気になればいつでも見れる! な。――もう言うなって。おれは結婚なんかしないよ!」

   《ト突然時江が口を押さえる》

千石「……あ! どうしたの? はくぅ? 吐く? ちょ、ちょ、ちょっと待って! (時江が吐く)ああ! あぁあ!(思わず両手で受ける……)いいからい いから。げっと吐いて。げっと……。……うん。うん。ちょっと流してくるから。横になっときな。横に。(外へ出る)そうっとね……。そうっと」

   《部屋を出ていく。が、廊下で「あっ」とつまずいて手の中の吐瀉物をこぼしてしまう》

千石「ああ、やんなるなぁ! クソッ。チクショウめ。(心配して声をかける病室の時江に)なんでもないよぉ。なんでもない。ゆっくり寝てな。(ポケットに突っ込んでいたハンカチで床を拭きつつ涙がにじむ)……なにが新しい奥さんだ。バカヤロウ。クソッ……」

   《ト大垣が現れる。千石、後ろから軽く肩を叩かれる》

千石「え? あ、大垣さん。(大垣が雑巾かなにかで床を拭き出す)あぁ――すみません。やりますから、おれ。……あぁ、すみませんねぇ。どうも。……
   え、なんですぅ? 立派。だれが? おれがぁ? 毎日毎日見舞いに来て。今もこうして。そりゃ……そんなこと。え? 雑巾を、もう一枚? あ。はい」

   《素早く流しに行って雑巾を取ってくる》

千石「あ、はい、どうぞ。
   うらやましいって? 時江が? へえ、早くにご主人亡くされて……一人ぼっちだった? そりゃ大変で。そりゃね……。さみしいでしょうねぇ……」

   《微妙な間》

千石「んでも、次のがやさしかった? へっ? 二番目。旦那。ハズバンド。あ、再婚されたんですかぁ? 五十過ぎて。へええぇ。ヤ。その、なんです、いい もんですか再婚ってのは? 『新鮮』。でしょうねぇ! 『エキサイティング』。やっぱり。(大垣が打って変わって千石をじっと冷めた目で見ている……)い やいやいや、(病室の時江を気にしながら)おれは再婚する気なんてないですけど。……そんなもんですかねぇ。
   ああ、雑巾もらいましょう。いいですか。すみません。(大垣が自ら流しの方へ)あぁ、ありがとうございます!」
   大垣さんは汚れた雑巾を流しへ持ってってくれました。(しみじみと)身に沁みますよぉ、こういうときの親切は!

   《中学校の運動会》
   《運動会でよく流れる音楽》
   《やがてフォークダンスの曲(オクラホマミクサー)へ》
   《千石、おにぎりを食べながら運動会の様子をのぞき見ている》

千石「バカ言うなよ。お昼はコンビニ弁当でいいだなんて。運動会って言ゃあおにぎりだよ、おにぎり。朝早く起きて作ってやったのに、無視して置いてきや がった。(おにぎりをかじって)いけてるよ、これ。われながら。塩がきいてら。だいたい来なくていいってどういうんだ。親が見るもんじゃねぇのか、運動 会ってのはよぉ。なんでコソコソ(見なきゃなんない)。
   ――お、いたいた。いいねぇ。ちゃんと手ぇ握れっての。先つまんで。なにしてんだ。ま、おれも中学ん時は恥ずかしかったけどな。でもいいよなぁ、フォークダンス。いい思い出だ。中年になったら踊るなんてないもんな」

   《千石の後ろを中年の男が通りかかる》

千石「(中年の男に袖を引かれ)うるさいな。今いいとこなんだから。だれ? ……そうです。千石まもるの父です。え。あ、先生。こりゃこんな所で、奇遇で。学校だから当たり前? そりゃそうだ。
   あっちにね、保護者のテントが。ヤ、いいんですここで、おれは。フェンスの隅で。目立たない隅っこが好きなんです。お気遣いなく。……あ、あやしいの? 変態。いやいや、わかってますよ。最近おかしな野郎が多いですからね。もうね、ちょっと見たら帰りますんで。
   進路希望……? ええ? 聞いてませんが? 紙を、もらったン? まもるが? 期限過ぎてんですか。そりゃすみません。はい、すぐに相談して。わかりました。すみません。あ。あっち移動しますから。どうも。

   《先生を見送る》

千石「なんだ、ビックリしちゃったよ。担任だよ、まもるの。あんな顔してたんだ。ササガワァラなんて言うから、こんなかと(ひどい顔かと思ってた)。
   でもいいねぇ。フォークダンス。あれ何年前だろ。そうだよ、中学ん時だよ、時江と踊ったんだよ。踊ろうとしたんだよ。でも、チキショウ、あと一人ん とこで曲が終わりやがって。ドキドキして待ってたのに。手ぇ握れると思ってさ。それが、チャンチャカチャチャーチャ、チャンチャン(と曲が終わる)、だも んな。でも、あんとき、次踊ろうとして指先が一瞬ふれたんだよなぁ。そんとき(指先に)電気が走ったみたいになって、恋に落ちちゃったン」

   《オクラホマミクサーのメロディーを口ずさみ、まるでペアで踊る時江の手にふれるように、一人フォークダンスを踊る》

千石「(オクラホマミクサーのメロディー)ンチャ、ンチャチャチャチャチャ、チャチャチャ……なんてな。この微妙な感じが……青春だよなぁ! ふふ。
   ……(ト指先を見つめていて……突然)あっ! ああっ! そうだよ。この感じだよ、指先の。この感覚だよ、大事なのは! おいおいおいおい、基本忘れてたよ。ハハハ、これこれ!(運動会の学校を飛び出していく)」

   《病室》

千石 わたしはうれしくなって病院へすっ飛んでいきました。
  「(時江に)わぁかった、わかったよ! 指だよ、指、指!
   ええ? あわててないよ。ちゃんとね、運動会行ってきました、応援に。保護者の席すわって。障害物競走に、徒競走。それから騎馬戦ね。弁当食べた よ、まもると二人で。やっぱタコウインナーだよ。あれに目がないの。おにぎり食べてさ。塩きいてるぞ、もっと食えぇなんて。でさ、フォークダンス。今も やってんの、フォークダンス。思い出しちゃったよ。あんたとおれが最後の番で。ヤヤヤ、最後、回んなかったのよ、順番。んでもさ、曲が終わろうってぇとき に手と手がこぅ、ふれあって。
   ……なんだよ。そんなフグが釣り針に引っかかって、ふてくされたみたいな顔して。あ、また具合悪いの。横になる? 横になった方がいいよ。またげっ となっちゃあ大変だ。――なに? 断ってって、なに? 来たって、だれが? え? ――社長来たの、徳丸。ええ? それ、置いてったの。い、いくら入って んの? (時江が手で「五」と示す)五千円? 五万!? そんなにぃ? ……いいよ、もらっとけば。見舞いだろ、もらっときなさいよ。なんでって、そ の……ほぉ……し、し、仕事してるからだよ。断ってって――払えないよ入院費。いったいいくらに。
   保険? (答えに窮して)へ? 生命保険? (答えに窮して)ほぉ? ……かけてたよ。かけてましたよ。なんで過去形なのって……その、なんでで しょう? (時江に怒られて)解約しちゃったの! (小声になって)サラ金に借金あっただろ。あれ払ったの。んなこと言ったって、前の橋から渡ってかな きゃしょうがないだろ。
   職人の誇りって、なに? プライドどこ行っちゃったのって? ……おまえ、どこまで知ってんの? 聞いた、まもるに? 作りたくないもんまで作って んだって。酔っ払って暴れて。バカ、ありゃ、冷蔵庫の戸が閉まんなくて。『胸騒ぎする』。……んな心配しなくても。また具合悪くなっちゃうよ。
   部品だけ……作ってんだから。知らないよ、なんに使うのかなんて。たいていのもん知らないよ、作った先がどうなってんのか。知ってる物も、あるよ。 知らない方が――いい物もあるの。あんたのためじゃないよ。仕事なんだから。ヤ、みんなの、食ってくためだけどさ。――そんなんじゃないの。もぅ心配しな くていいから。うそってなに。おれうそつかないよ。うそついたことないでしょ。眉毛が段ちがい? またァ! そういうこと(言って)」

   《間》

千石「なに? もう一つって。もう一つうそついてるって? 七十パーセントぉ? 言ったよ、七十パーって。七十パーセント大丈夫だって。『うそ。逆。ホン トは三十パーセントでしょ、わたしの……確率』。ええ!? なんで!? ――あ、バカ、あの医者! 細メガネ! おれが話すって言っといたのにぃ。いつ聞 いたの? きのう? 説明あったの。全部? アチャア……」

   《時江から徳丸の見舞い袋を手に押しつけられて》

千石「わかった。断る。断るって。返すよ、これも。え? 別の仕事なんてないよ、んなもん。あるわけないじゃない! これ当てにしてやってきたんだから。――大きな声なんか出してないだろっ。(声を無理に潜めて)わぁかったって。(ため息)ふうぅぅ……」

   《長い間》

千石「……じゃ、帰るわ。……ン。……ン。じゃ。――んな、子どもじゃあるまいし。まもるに当たるわきゃねぇだろ。じゃね……」(病室を出る)

   《千石の工場》

千石 (客に)妻には断ると言いましたが……
  「(自分に)でもな、作んなきゃ食えないんだから……」

   《製品作りに取りかかる……遠く病室には心配げな時江の姿………》

千石「(作業する)手の感触信じて。機械に頼り過ぎてた。最後は自分の手。手ぇ信じてやるっきゃない」

   《黙々と作業する………》

千石「(製品を見て)……こんなのどこに使うんだかねぇ……。これでおれも人殺しぃ、なんてね……」

   《黙々と作業する……時江の姿は消えてゆく………》

千石 (製品が完成する。ためつすがめつ眺める。一瞬満足の笑みを浮かべる。が……)「こんなもん作るためにあんのかねぇ、おれの手は。どっか世の中まちがってら!………」

   《完成した製品をじっと見つめる千石………》
   …………
   《矢竹の親父の家》
   《千石、完成した製品を矢竹の親父さんに見せている》

千石「これ、見て下さい」
矢竹「別に、前と変わったとこはねぇようだが……」
千石「手に取って見て下さい。さわって」
矢竹「お。(手触りがちがう。製品を取ってじっくり見る)ん。……いいね。いいよこれ。よくやったな、おまえ。(不自由な手。それでも良し悪しがわかる)」
千石「フォークダンスがヒントになったんです」
矢竹「フォークダンスって?」
千石「運動会とかで踊る、あれです」
矢竹「ああ。おもしろいとこにヒントが転がってたもんだなぁ」
千石「あの手と手がふれあうかふれあわないかって感覚が、今のおれには必要だったんです」
矢竹「ん。ん」
千石「……見てくれましたね」
矢竹「ああ、見たよ」
千石「しっかり見てくれましたね」
矢竹「だから見たって言ってんじゃない。しつこいね」
千石「じゃ、これはいいです」
矢竹「あ、なにする」

   《千石、完成した製品を拳で叩きつぶす》

矢竹「もったいねぇ……!」
千石「いいんですこれで」
矢竹「なんに使う部品かわかんねぇんだろ。だったら……」
千石「いや、知ってました。知ってたんです。でもこりゃ渡せない。できなかったって言います、徳丸には。バカにされるでしょう。ありゃ半端職人だって。でもおれは親父さんさえ、これ作ったって知っててもらえれば――」
矢竹「暮らしは立つのかい? 金、いるんだろ」
千石「時と場合によっちゃあ、それより大事なもんがあるって……」
矢竹「フン……」
千石「バカですかねぇ……」
矢竹「バカだねぇ。――でもおれは、好きだ」
千石「――!(思わず熱いものが込み上げる)親父さん……!」

   《矢竹の親父から酒をつがれる千石》
   《無言で酒を酌み交わす二人……》
   …………
   《千石の家。深夜》

千石 矢竹の親父さんの家で酒をたらふくご馳走んなって、いい気分でうちへ帰ってきました。それでも胸ん底の深いところは全然酔ってないみたいで……。
  「(いい気分で歌う)♪ああ~ あなたに惚れた~ バカなわたしは捨てられて~とくら。♪バカはバカなり~ 恋したのぉ~かぁ。(冷蔵庫を漁る)ビー ルをね。一本いただきましてと。♪つまみはしゃぶったイカでいい~、と。ん? しゃぶっちゃダメか。ヘヘ。♪バカなわたしは捨てられて~~~(とビールを 飲む)」

   《ト部屋で物音。まもるが来る》

千石「ん? まもるか。酔ってない酔ってない。酔っ払ってるだけぇ。なんちゃって。
   あのね、ぼくね、まもるくんにひと言言っておく。職人なんかなるな。ね。つまんないよぉ、こんな仕事。物作ったってね。ましてやバネ屋なんか。――え? なに? 誇りに思ってる? 『仕事。とうさんの』。またぁ。心にもないこと」

   《まもる、父に近づき、紙を渡す。その紙の角が千石の手の甲にチクッと刺さる》

千石「なんだよ、これ! 角チクッとしたよ、今。進路希望? 学校に出すやつ? ああ、これね。保護者のサインな。(ト紙を見て)ん? ん? 「第一希 望・能率工業高校」。なに、工業高校って? 『勉強ダメだから、あと継ぐ』。ええ? 工場のぉ? うちのぉ? あと継ぐぅ? なに、なに、突然。バカ、こ のぉ。高校いけ高校、普通科に。機械科はダメだぁ。物作りなんて。
   ……(われ知らず相好が崩れて笑って)そぉうぉ。工業高校ぉ。機械科ぁ。あと継ぐの?(思わず笑う)オホホ。
   バカだねぇ。こんな工場つぶしたって構わねえのに。(涙ぐむ。まもるに)おい。おいよ。人の役立つ物作れよぉ! よぉ。こんちくしょうめ! ハハ、ハハハハ……。(泣き笑い)」

   《病室》

千石「(時江に)なに? 泣くわきゃないよ。(思わず涙の跡をごまかして)泣きゃしないけど。そうそう、自分で機械科行くなんて言いだして。頑固だねぇ、 あいつ。一度決めたら言うこと聞かねぇの。おれは普通科いけって言ってんのに。似てるって、だれに? おれに? ちがうよ。頑固なのはあんただよぉ。え え? お互い様。ハハ、認めてやがらぁ。似た者夫婦か。ハハハ」

  「しかしどうすっかな。ん? これからよ。もう少し退院伸ばしてもらわなきゃな。いっそのこと二人でここで暮らしちゃおうか。ヘヘヘ。――バカなことって、払うんだろ、退院するときに。(ト指でお金のマーク)
   ん? なに? 作れるよなんだって。仕事がありゃ。町工場の仲間もいるんだし。
   (時江が写真を取り出して見せる)なに、これ? 跳んでるの? ジャンプ一発オロナミンC。へ? ほぅ、走り幅跳び。へえぇ。かっこいいねぇこの外 人さん。この足につけてるの、義足だろ? ビヨヨ~ンって、バネの? パラリンピック? ああ。オリンピックのパロディー。パロリンピック。――わかって るよぉ。障害者のオリンピックだろ。それでなんなの。こんなもん見せて。なに、うしろ?」
   妻に促されて振り向くと、あの車椅子のあんちゃんがいました。相変わらずマッチョな胸板。

   《目黒、車椅子に乗っている》

千石「あぁ、どうも。こないだは。これ(写真)、なに、先生の? パラリンピック出んの? あ、今から? 目指す?
   (時江と目黒を交互に見て)ええ~っ? なになに? おれが作んの、これを? ビヨヨ~ンを? スポーツ義足。(時江に)あんたじゃなきゃ作れないわよって、なによ。急に褒めて。あ、さてはもうふたりで話進んでんな。
   (自分が作るとなると、急にマジになって)え? なに? スポーツ義足?(写真を改めて見て)んなもの、じっくり見たことなかったからなぁ。鉄の……バッタの足みたいだね、こりゃ。
   (目黒に)ああ、競技用のはね。そうでしょうね、値が張るでしょうね。ああ、特注になんの。ちょっと試すってこともできない。そりゃあね。『僕もゼロからの挑戦なんで、踏ん切りつかなかったんですけど……奥さんに背中押されて』
   ヤ、人のことになるとね、急に張り切るんですよ、うちのは。外面がいい。(時江に)ヤヤヤヤ、褒めてんの。
   いや、なんだか(腕が)ムズムズしてきたよ。先生はゼロから、おれも一からの挑戦だな、こりゃ。
   え? お金? いいよいいよ、払えるだけで。(時江をつねられる)イテテッ。なにすんだよ。『わたしの営業努力無駄にする気?』。言うねぇ。こちとらの腕があるからでしょ、仕事取れるのは、専務さん。
   (改まって目黒に)先生、いいの、おれなんかで。パラリンピック目指すんでしょ。正直、専門の業者に頼んだ方が。うちのがしつこくて断り切れなくなっちゃった、とかじゃないの。それは、ちがう? むしろ勧められて、モヤモヤが吹っ切れた? 『感謝してます!』
   そう。ホホ。うれしいこと言ってくれるねぇ。――よし! 作りましょ、日本一のビヨヨ~ンを。スポーツ義足を。いや、世界一の飛びっ切りのやつをね! 任せといてよ、この千石に!
   (目頭が熱くなって)……先生、ありがと。時江、ありがと。こういう仕事を――おれは、待ってたんだよ!」

   《♪オクラホマミクサーが流れてくる》
   《千石、時江と向かい合い、手と手を『ふれあう』。互いの手を取り合いフォークダンスを踊り出す。(無対象の演技。以下同様)》
   《千石、車椅子の目黒ともフォークダンスを踊る。(目黒は車椅子に乗ったまま千石の手を取って踊る)》
   《そこに千石の母も出てくる。息子のまもるも出てくる。輪になってフォークダンスを踊る。主治医も、医学生も出てくる。大垣さんも、足の悪い矢竹の親父さんも出てくる。笹河原先生も出てくる。みんなで楽しく手をつなぎフォークダンスを踊る………》
   《オクラホマミクサーの音楽の中、千石がスポーツ義足の製作に取りかかる。試行錯誤。バネの具合を試してみる。膝を折り曲げて自分の足に着けてみたりする。思わずビヨヨ~ンとジャンプしてしまったり。懸命に作る》
   《満足のいく出来に仕上がる。誇らしげな表情を浮かべる》
   …………

千石 何事にも終わりと結末ってもんがあるもんです。矢竹の親父から『徳丸が捕まった』って電話がありました。お天道さんは見てらっしゃる――悪いことはできません。
   それと、そうそう、ようやく病院を去る日が来たんです。

   《病室。時は過ぎて……千石、主治医としんみり話している》

千石「ええ、突然でねぇ。思いがけない(ことで)。力が足りなかったって、そんな、先生……。ハァ……んなこともないんでしょうけど。運ってやつですか ねぇ。とにかくあっという間で。……ホントに。励まされましたよぉ。いちばんつらいときに。ああいうときに人の情けがわかるっていうね……」

   《時江、元気にやってくる。入院用の寝間着ではなく、普段着を着ている。時江、主治医に退院のあいさつをする》

千石「ああ……支払い終わった? (主治医に気兼ねして小声で)よく払えたねぇ? へっ? ヘソクリ?! たいしたもんだ、あんたは! ……まもるは? 下で待ってる。そう。
   …………。ヤ、今ね、先生と、大垣さんのことをね……。(大垣のいたベッドを見る)ねぇ。ホントだよ……」

   《時江とふたり、大垣さんのいたベッドに向かい手を合わせる……》

千石「(ふと病室から廊下(客席)を見て)あれれ? なんだよ、行列できてるよ! ええ?! みんなあんたのお見送りぃ、退院の? あれ全部。入院中に仲良くなったの。(傍白)うわっ。こりゃ当分死なないや。
   ヤ、なんでもないなんでもない。よし、行こう。(主治医に)んじゃ、どうも。お世話になりました。はい、普段通り生活しても大丈夫? そりゃ有難い。はい。(笑顔)
   (身の回りの荷物を持つ。時江が千石をつつく)あぁ、わぁかってるって。(主治医に)あ。なんか病院で作りもんがあったら言って下さいね。安くしと きますから。棚でも手すりでも、なんでも作りますから。(時江に)こう見えてもいい仕事するって、こう見えてもは余計だよ。
   (主治医に)あ、うちの電話番号はね、45の1104。(時江と声を合わせ、電話番号を宙に書きながら……電話番号と語呂合わせで)千石工業、いいもの作るよ! 覚えやすいでしょ。ね!
   それじゃ、どうも。お世話になりました。ごめん下さい。
   (観客を患者や看護師に見立てて、別れの挨拶をしながら去っていく)ヤ、みなさんどうもどうも。どちらさんもお大事に。ね、元気出して。元気があれば、たいていのことうまくいくから。ヘヘヘ。お世話さんでした。ありがとさん!」

   《音楽、高鳴って》
                       ―――幕―――