サラエヴォのゴドー
              作・広島友好






○登場人物
 ゴゴー
 ディディー
 シプー
 マリマ

○舞台
1「サラエヴォのゴドー」                                    
    「ゴドーを待ちながら」の舞台装置を作りながら。
    田舎道。一本の木。
    夕暮れ。
2「黒鳥の歌」
    装置をバラした後の素の舞台。

○時
1993年8月  1本番当日
          2その夜更け

○場所
 サラエヴォにある小劇場
 もっと詳しくはその舞台








 1 サラエヴォのゴドー

   客入れが始まっているにもかかわらず、スタッフ・裏方の面々が舞台装置を組んでいる。
   やがて開演の時間になる。ごく自然に一人また一人と舞台またはその周囲から去って行く。
   そして男が一人残る。ゴゴーである。ゴゴーは片足が不自由でびっこを引いている。
   ゴゴー、組みかけの装置をナグリで小気味よくトトトトトンと打ちつける。(これが開演の合図)
         
ゴゴー 誰だよ、ここの支えにする木、盗ってきやがったのは! (舞台袖奧の方へ)また薪代わりに持ってったのか、冗談じゃないぞ、まったく! 燃やすもんがねえのは誰も同じだろうが。

   ディディー登場。手に木を持って。
   
ディディー そんな言い方やめなよ、ゴゴー。ここにはものを盗むやつなんて一人もいないさ。そこに(袖奧)立てかけてあったよ。ゴゴーの探し方が悪いんだ。目が節穴だよきょうは。
ゴゴー こっち寄越しな、ディディー。
ディデ (渡して)だからもう怒鳴るのはやめろよ。そうでなくても本番前は神経がピリピリしてるんだから。こめかみに剃刀の刃を当ててるみたいに。
ゴゴー そんなか細い神経してるようには見えないけどな。
ディデ 見えるようには見えないものさ、人も、世界も。
ゴゴー イアーゴーか。
ディデ 見えるように見えてれば争いは起こらないだろうし、世界は単純で、問題の解決も古いセーターの毛糸をほどくようにすんなりいく。

   遠く、爆竹を鳴らしたような銃声が風に乗って聞こえてくる。

ゴゴー (独白)いつものようにこの町に短い夏がやって来た。ただ違うのは四六時中銃声が鳴り響き、子どものころから親しんできた通りの名前が今ではスナイパー通りと変わってしまったこと。

   銃声。(山にこだまするようだ)

ディデ (独白)何事もないかのように芝居の幕は上がろうとする。だが、この一年の間に多くの仲間たちが舞台を退っ込んだきり戻って来ない。舞台監督は出番だと呼び続けているというのに。

   二人は舞台をつくる作業をし続ける。「ゴドーを待ちながら」のあのセットをつくるのだ。
   田舎道。一本の木。
   夕暮れ。
   舞台は二層になっており、舞台奧にちょうど柩の高さの昇降台がつくられる。
   その台の上で演技もできるし、また蝋燭を立てるのにも用いる。
   色調は黒のイメージ。

ゴゴー (客席側の天井近くの壁を指して)おい、ディディー、あの壁、明かりが漏れてくるんじゃないか。
ディデ あそこは内側から黒布で隠すよ。
ゴゴー しっかり止めとけよ。風が吹いてバタバタしたらかなわねえからな。ここは鼠に食われたチーズみたいにどこもかしこも穴だらけだ。劇場を撃つな! 丘の上のやつらめ。
ディデ しかし何とかなるもんだ。これでお客が入ればバッチリだよ。照明のない劇場でなんて芝居はできないと思ってたけど。
ゴゴー わかったようなこと言うじゃないか。旅公演の経験もないやつがよ。客の何たるかも知らないくせに生ばっかり言いやがる。
ディデ ゴゴー……。
ゴゴー 昔オレは丘の上の劇場で罵声浴びながら芝居したことがあったよ。その時わかったね、客ってのは一種の悪魔だってことが。調子のいい時は天使とベッ ドに寝てるみたいにこの上なく気持ち良くって優しいが、こちらが油断していったん調子を狂わすと、冷たい刃のような罵声で役者の魂まで突き刺しちまう。し かし実際ここに芝居を見に来るやつらはバカじゃないかと思うね。そうだろ。いつ敵の砲弾が落ちてくるともわからないんだから。ここに落ちなくても劇場への 行き帰りはイノチガケだ。せめて死ぬんならてめえの家がいいだろ。もっともオレは劇場で死ねれば本望だけどな、ライムライトの道化のように。
ディデ でも、砲弾なんて落ちやしないよ、きっと。
ゴゴー 弾がなくなるかオレたちがここから追い出されるか、そのどっちかしかないのさ、この戦争が終わるのは。

   二人、平台を昇降台に乗せようとする。

ゴゴー おい、しっかり持てよ。
ディデ いいよ、一人でやるから。手、放してよ。
ゴゴー しっかり持てって! 
ディデ 持ってるだろう。(小声で)危ないのはそっちだよ。
ゴゴー 何だって?
ディデ 別に……。

   二人、息が合わず失敗する。

ゴゴー (だから)言っただろうが! 
ディデ 何をイライラしてるのさ。少しおかしいよ、きょうは。怒鳴らなくてもいいだろ。怒鳴るのやめろよ。頼むよ!
ゴゴー 怒鳴ってなんかいるか。これが地声だ。

   ディディー、再び平台を昇降台の上に乗せようとする。
   ゴゴーは横で手伝うが、かえって危なっかしく邪魔っ気である。

ディデ もういいよ。もう相手にしない。無駄な労力は使わない。本番前にパワーがなくなっちまうよ。きょう食べたのはパン一切れさ。国連が支給してくれたカチカチのパン。
ゴゴー 食べてないようには見えないけどな。
ディデ やせたのさ。やせてこれさ。この調子でやせたら来年の今頃は紙っペラさ。頼むよもう怒らせないでくれよ。それでなくてもこっちは朝から水汲みで二度も往復して少々バテちまってるんだから。
ゴゴー いつもの言い訳が出たよ。台詞覚えの悪いのも、間を外すのも、腹減ってるから、疲れてるから。
ディデ 本当のことだよ。普通ならもっと台詞が入るのも早いよ。それに夜になったら暗くて台本なんて読めやしないんだから。
ゴゴー オレはしっかり覚えたぜ。
ディデ そうだろうよ。あんたはエライよ。もういい、ここは一人でやるから。ポッツォとラッキーにも手伝わせるし。それに……。
ゴゴー それに?
ディデ 本番もうすぐだから、足、少し休ませた方が……
ゴゴー 立派にやってやるさ! 誰にもできないようなエストラゴンをやってやるよ。心配するな。見に来たやつらにアッと言わせてやる。それよりいいな、間、外すなよ。
ディデ そっちこそ! 酒飲んで芝居ができるのか。
ゴゴー これは、ただの、二日酔いだ。
ディデ 昔テレビで活躍してたか知らないけど、本番前に酒の匂いプンプンさせるのがあんたの流儀なのか。どうしたんだよゴゴー、きのうまでこんなことなかったのに。
ゴゴー いろいろあったのさ……。
ディデ 何があったの? 
ゴゴー 関係ないよ。
ディデ 死んだお袋がきょうのあんた見たらがっかりするよ。
ゴゴー お袋さん?
ディデ お袋はあんたのファンだった。あんたの出るテレビドラマは欠かさず見てたよ、この人は面白いって。あんたはたいてい大きな役じゃなかったけどな。
ゴゴー お袋さんは確か――
ディデ ああ、殺された、水汲みに行ったところを丘の上のやつらに撃たれて……。
ゴゴー そう……。
ディデ きのう何があったか知らないけどさ、もっと気を落ち着けてさ。
ゴゴー 少々酒は残っててもおまえよりは滑舌はいいぜ。ブグバグブグバグミブグバグ、合わせてブグバグムブグバグ。キククリキククリミキククリ、合わせてキククリムキククリ……
ディデ ふざけないでくれよゴゴー、きょうは大事な舞台なんだ。

   シプー、出て来る。

シプー あの!
ディデ (やさしく)どうした?
ゴゴー (強く)何だ?

   シプー、前に進もうとするが立ち止まる。

ゴゴー どうしたって聞いてるんだよ。シプー。
シプー あの……。
ゴゴー さっさとしゃべれよ!
ディデ 大きな声出すなよ。(シプーに)どうした、何か用か。
シプー ゴゴーさんに……
ゴゴー ?
シプー (一気に)ゴゴーさんに、女の人が、会いたいって、外で待ってるからって……。
ゴゴー (ドキリとする)女の人……。
シプー ええ。
ゴゴー もしかして……、髪の黒い?
シプー ええ。
ゴゴー やせて……
シプー ええ。
ゴゴー 太っている……
シプー ええ。
ゴゴー 三十ぐらいの……
シプー 美しい人です。
ゴゴー 美しい人……。
ディデ 誰だよ、ゴゴー。
ゴゴー (舞台を右往左往しながら)今いないと言ってくれ。いいなシプー。今は本番前で忙しい。客入れはもうすぐだし。会いたければ、芝居がはねた後、小屋の外ででも待ってろって。
ディデ (にやにやしながら)いいよ。少しぐらいならどうってことないさ。行ってきなよ。
ゴゴー 猫の手も借りたいぐらいなんだよ。それにおまえに全部任せられるか。
ディデ できるよ、オレだって。後何をすればいいかぐらいのことわかってるさ。
ゴゴー (シプーに)その人に伝えるんだ、後にしてくれって。
シプー でも、その人――
ゴゴー いいから早くしな。行けっていうんだ!

   シプー、去る。

ディデ ゴゴー。怯えて行っちまったよ。あの子にひどい態度を取るのはやめなよ。怯えてしまって、そのうち大人を憎むようになる。
ゴゴー 憎んだほうがいいのさ、こんな汚れた大人とかいう人種は……。おい、次運ぶぞ。(袖に引っ込む)
ディデ ゴゴー。(後について行く)

   ディディーを先頭にして二人、装置の「木」を持って出て来る。

ゴゴー (客席の方にいると思われる誰かに)おーい、見てくれよ。あんたが位置決めなきゃ始まんないんだから。もっとこっち? (二人、「木」を動かす) ここ? いい? はぁ? 枝をこっちに振るの?(ト首が吊れそうな枝を舞台中央よりに向ける) OK? OK。(ディディー、「木」が倒れないように後ろ から人形で支える)しかし、あんたもあれだね。わざわざ自由と平和の国から、この丘の上のやつらに囲まれた監獄のような町にやって来て芝居の演出するなん て、考えてみりゃ、よっぽどのヒマ人だね。
ディデ ゴゴー、やめなよ。恥ずかしいよ。
ゴゴー 悪い意味じゃないよ。言ってみれば、ごううじゃあすううなヒマ人さ。え、そうだろ? 人生なんて、ヒマをいかにつぶすかの連続だからな。あんまり ヒマ過ぎると逆にウツウツしてきて人殺しを始めちまう。政治家のガキどもは赤・青・緑のエンピツ持って朝から晩までこの国の地図の色分けしてるよ。戦争や りたくなかったら、あんたのように芝居の演出でもしてヒマな時間をつぶす方が賢明さ。あんたは、自由の女神の寵愛を捨て、自腹切って監獄に入り、無報酬で 一月も二月も芝居やろうってんだから、これをごううじゃあすううと呼ばず、何をどう呼べっていうんだよな。ま、監獄で囚人に芝居させるのは、どこの国でも やってることだがね。本来監獄ってのは死刑になるまで命の保証をしてくれるとこなんだが、ここの監獄はいつ弾が落ちてきて殺されるかわからんヘンテコなし ろもんだ。監獄暮しのオレたちが「ゴドーを待ちながら」なんていう、人類という囚人を演じる芝居をやり、それを監獄暮しの囚人たちが見に来るなんて、な、 ちょっとした皮肉だよ。
ディデ ゴゴー。(諫めようとする)
ゴゴー そんな芝居を面白いと思うかね、お客さんは? 出てる本人がこう言っちゃ何だが、一月余り稽古してきて毎日オレは疑問だったのさ。そりゃ、やって みればわかるさ、そんなこと、面白いか面白くないかなんて。心配してみても始まらない。でもあんたには何か確信があったんだろ? こいつはいけるっていう 風な。
ディデ ゴゴー、やめなよ。変にからむのは良くないよ。ここにいるものはみんなそんなかと思われる。
ゴゴー そんなって、どんなだ? ええ? 
ディデ そういう意味じゃないよ。――これじゃ、藪蛇だ。早く仲直りしてくれよな。
ゴゴー 何?
ディデ 早く仲直りして機嫌直してくれよ。たまんないよこんなんじゃ。きょうの舞台の意味が全然わかってない。
ゴゴー 何言ってるんだ? 
ディデ さっきシプーの言ってた女性はゴゴーの新しいこれだろ。(ト小指を立てる)わかってるよ。夕べけんかして、それであんた機嫌が悪いのさ。変にオドオドして。
ゴゴー そんなんじゃない。
ディデ じゃどんなんだよ。
ゴゴー ……。
ディデ ほら! きょうは大事な舞台なんだ。こんな調子じゃいい芝居にならないよ。(ト、ナグリで激しく叩く)
ゴゴー そうじゃないって!

   ゴゴー、袖に引っ込む。
   ト入れ代わるようにシプーが出て来る。

シプー あの……、ゴゴーさんは?
ディデ (袖の奧を覗いて)行っちまったよ。
シプー そうですか。
ディデ 何?
シプー ……。
ディデ どうした?
シプー あの人が……
ディデ あの人……?
シプー さっきの、黒い髪で……
ディデ ああ、やせて、太った……
シプー 美しい人が……
ディデ 美しい人が……?
シプー 泣いてました。
ディデ 泣いてた?
シプー ええ……。
ディデ 何故?
シプー さあ……?
ディデ きみが泣かせたのか。
シプー ボクはだだゴゴーさんの言った通りのことを……。
ディデ 何て?
シプー 今は会えない。早く行っちまえと。
ディデ 行けと言ったのは、きみに対してで、その女の人に対してじゃないよ。
シプー そうでしたか……。
ディデ で、どうしたの?
シプー で、ここに来ました。
ディデ そうじゃなくて、女の人は? 
シプー どこかへ行ってしまいました、泣きながら……。
ディデ 泣きながら……。その人、何て名前だった?
シプー 名前……?
ディデ    そう。
シプー マリマ。
ディデ マリマ? 確かに、マリマって言ったのかその人は?
シプー ええ。
ディデ マリマってゴゴーの連れ合いの名前じゃないか。その人はゴゴーの女房じゃないのか、シプー? 
シプー さあ……? 近くにいたラッキーさんは、チラッと見ただけだったんですけど、マリマさんじゃないだろうかって言ってました。
ディデ でも、ゴゴーの連れ合いは戦争が始まってすぐに丘の上のやつらに殺されたって聞いてたけど、子どもと一緒に。
シプー ボクにはわかりません……。
ディデ ゴゴーの連れ合いは生きてたのか。
シプー ボクにはわかりません……。
ディデ ……で、今その人は?
シプー 行ってしまいました。
ディデ 泣きながら……。
シプー ええ……。(去ろうとする)
ディデ シプー。もうここの生活は慣れたのか。
シプー ええ。
ディデ 顔色が悪いけど、飯は食べてるのか。
シプー ええ。
ディデ きみも照明(あかり)屋になるつもりか、お父さんのように。
シプー ええ。
ディデ 困ったことがあったら何でも言いなよ。
シプー ええ。
ディデ 本当に。
シプー みんな誰もそうなんですから。
ディデ でもきみはこの劇場で一人で寝起きしてる。他の子たちとは違う。
シプー 生きてるだけ、いいです。
ディデ そう……。
シプー そうです。
ディデ 友達……?
シプー ええ、たくさん……。
ディデ そう。聞いて悪かった。
シプー いいえ。

   シプー、去る。

ディデ (独白)ゴゴーに初めて会ったのはこの芝居のオーディションの時だった。無報酬のボランティアだったが、それでもオーディションにはたくさんの役 者が集まって来た。みな芝居に飢えていた。中でもゴゴーは飛び抜けていた。第一にあの足。足を引きずり引きずり、時折杖をついて演じるリア王の道化は ちょっとした感動ものだった。あの足でとんぼまで切ろうとする。演出にしつこく頼み込んだのもゴゴーだった。食いついて離れない。もちろん不平を言うやつ もいた、汚い手を使いやがるって。でも、多くはその情熱――いや、執念に席を譲った。……ゴゴーの連れ合いと子どもが丘の上のやつらに殺されたと聞かされ たのは随分後になってからだ。その時まで何がそんなにゴゴーをこの芝居に駆り立てるのかわからなかった。しかし、連れ合いが生きているとしたなら、これは どういうことなんだろう。

   ゴゴー、十二本の蝋燭を携えて袖から出て来る。そして舞台に配置していく。

ディデ ゴゴー。さっきあんたに会いに来た女性は、あんたの――
ゴゴー (ディディーに関係なく、蝋燭を並べながら)ディディー。少しは見込みのあるやつだと思ってたけどな、おまえのことを。ええ?
ディデ 何?
ゴゴー どうしようもないやつだな、おまえは。
ディデ 何さ?
ゴゴー ポッツォから聞いた。この芝居が終わったら軍に志願するんだってな。
ディデ ああ、そのことか……。
ゴゴー おまえがそれほどバカだとは思わなかったよ。何を見てたんだその目は。そのおまえの鼻の上にあるのは胡桃の実だとでも言うのか。
ディデ !
ゴゴー まったく。徴兵もされてないんだろ。バカだよ、バカ。
ディデ バカとは何だよ!
ゴゴー バカだ。大バカだ。おまえはこれからじゃないか。これからの役者なんだ。身体も丈夫だし、芝居のたちも悪くない。つまりは未来が開けてる。後は経 験だ。役者は三十過ぎてから。それまでは土台造り。二十代は土に肥料を混ぜる、言ってみりゃあ退屈な時期だよ。だから、それまでパッとしなくても気にする ことはない。何ならオレがマンツウマンでレッスンしてやっても――
ディデ ――もう役者はやめるんだ。
ゴゴー だから――可能性はその時が来てみないとあるかないか、花開くか開かないか、わからないんだよ。
ディデ いやに急に、優しいじゃない?
ゴゴー 優しいとかじゃなくて、役者ってやつはそうなんだ。
ディデ 何がそうなのさ。あんたの役者ってものに対する執念には恐れ入るよ。
ゴゴー 執念なんか持っちゃいない。
ディデ あんたが当たり前に考えてやってることが執念に思えるんだよ。言いたかないが、あんたのようにみじめに足引きずってまで役者でいたいとは思わない。オレはどうにか役者やってるけど、目の前に自分の才能の限界を突きつけられたら逃げ出さずにはいられなくなるよ。
ゴゴー だから戦場に行く? 
ディデ オレはずっと迷ってた、どうしたらいいのか。稽古していると頭の中で、もう一人の自分がこう囁くんだ。
ゴゴー ……。
ディデ おい、ディディー、今こんなことしてていいのか。え、生きるか死ぬかの戦いをしている時に、ああでもないこうでもないと台詞憶えて稽古して、それが何になるんだ。この芝居が少しは生活を良くすることにつながるのか。おまえが芝居している間にも人は殺されてるんだ。
ゴゴー 芝居してるから何とか普通でいられるんだ。
ディデ 最後まで聞けよ。いつもあんたは人の話取っちまうんだ。自分の意見だけしゃべる。そして説教だ、役者とは、芝居とは。聞けよ、オレの話を!
ゴゴー ……。
ディデ 芝居してどうなるのか、あんた答えられるのか。芝居して腹が一杯になるのか。この町に電気と水道が来るのか。芝居して銃声が止むのか。芝居して、芝居して――人殺しはなくなるのか!
ゴゴー 芝居はそんなもんじゃない。
ディデ 弟は兵隊になった。大学捨てて戦争へ行ったよ。ある意味あいつを偉いと思うね。それに比べてこのオレは何をしてるのか――
ゴゴー (自分を示して)つまりはこうなってもいいのか。ディディー、何故オレを参考にしない。ここにいい見本がいるっていうのに。戦争による廃棄物のよ。
ディデ (ゴゴーから視線を外して)戦いに行ったやつがみんなあんたのようになるわけじゃない。それにたとえ死んだって、悲しんでくれる人はここにはいやしない。
ゴゴー お袋さんの敵を取るってわけか。
ディデ どうしてもオレは出かけなくちゃならなかった、人に会う用事があって。戻ったら水汲みはやるから外には出るなって言ったんだ。けどお袋は――何で もかんでもさっさとやってしまわないと気が済まない性格だったからな――スナイパー通りを三輪車押して水汲みに出かけた。停戦中だったんだぞ。停戦の意味 を理解できないんだあいつらは! お袋は通りの真ん中で倒れてた、ポリ容器を血で真っ赤に染めて……。あんたも戦いに行ったんだろ。丘の上のやつらを殺し に行って、戦ってきた。なのに何でオレが行こうとするのを止めるんだ?
ゴゴー それが間違ってたからだ。
ディデ だから、どうしてさ?
ゴゴー ……(蝋燭を並べながら)去年の春、旅公演をしている留守を丘の上のやつらに襲われた。駆けつけると、アルーは冷たくなって横たわっていた。顔に白い布を被せて、身体に三つも大きな穴をこさえて……。
ディデ あんたの子どものことか……?
ゴゴー ああ。まだ六つだった。黒い髪をしたやんちゃ坊主だったよ。……マリマの姿はどこにもなかった。生きているのか死んでいるのか、何もわからなかっ た。憎しみが理性に目隠しをして気づいた時は戦場にいた。メッタヤタラに敵陣に弾を撃ち込んで人も殺しただろうよ。けれどそれは間違ってた。何もかもなく してしまった。
ディデ 何もかもって、あんたの連れ合いは生きてるじゃないか――
シプー (舞台奧を横切りながら)客入れです。客入れです。客入れです。
ディデ さっき訪ねて来たのは、あんたの連れ合いだろ? 何でウソをつくんだ。
ゴゴー ウソじゃない!
ディデ ウソじゃないって……。黒い髪で、名前がマリマなら、あんたの連れ合いじゃないのか。それに彼女を見たって人もいる。
ゴゴー マリマは、死んだ――。マリマとアルーは殺された。だから戦場に行き、――こんな身体になって帰って来た。
ディデ じゃ、あんたを訪ねて来た女は誰なのさ? 
ゴゴー ……。
シプー 客入れです――

   ゴゴー、服を着替え始める。裏方用の服を脱ぎ、黒の背広の上下(上は身体にピッチリとした服、下はダボダボのズボン)、山高帽にヨレヨレの靴という舞台衣裳に着替える。
   シプーが舞台に並べられた十二本の蝋燭に火を点けて回る。

ゴゴー ディディー、早く支度しろ。
ディデ こんなんじゃ芝居になんないよ。できるわけないよ。
ゴゴー 持ち道具は揃ってるのか。
ディデ 持ち道具? 
ゴゴー 人参代わりのロールパンさ。食べてないだろうな。あれは演出がホテルからわざわざくすねてきたんだからな。
ディデ 食べないよ。芝居で使うのに、当たり前じゃない。
ゴゴー 台詞とちっても、しまったなんて顔絶対するな。
ディデ しないよ、そんなの。あんたオレのことちっともわかってないよ……。
ゴゴー ああ、わかるけど、わからないね……。
ディデ (ようやく着替え始めながら)お袋の柩を凍った土の穴ん中に埋めた時、親父は声を上げて泣いてたよ。もしこの戦争がなければ二人の老後も違ってた んだ。お袋は好きな編み物を続け、親父は絵を描いたり散歩したり、時にはお気に入りの喫茶店でマスターと昔懐かしいパルチザンの話でもしてただろうよ。
ゴゴー おしゃべりしている暇はないぞ。
ディデ お袋の葬式が親父の葬式になるなんて誰も思ちゃいなかった。
ゴゴー ……どういう意味だ、それ?
ディデ 柩の中のお袋に神父が祈りを捧げている時に、オレたちめがけて丘の上のやつらが雨霰のように発砲してきた。お袋の柩に置いたセーターの上に神父と、そして親父が重なるように倒れて死んだ。やつらは人間じゃない。神さえ恐れないケダモノだ。
ゴゴー ――さっさと着替えて、顔を塗るんだ。もうじき幕が上がる。顔が濡れてちゃ化粧はできないぞ。
ディデ オレはやっと踏ん切りがついたんだ、どうしたらいいのか。役者としてじゃない、人として、一人の息子としてだ。この芝居が終わったら、オレは戦争へ行く。
ゴゴー 役者は武器を手にするもんじゃない。役者は台詞だけ持ってりゃいいんだ……。

   ト客席の後ろにマリマが現れる。

シプー (蝋燭に火を点していた手をとめて)あ、さっきの人だ。黒い髪、やせて、太って、美しい人。マリマ……。

   マリマ、客席の空いている椅子のひとつに坐る。彼女のふくらんだ腹は明らかに子どもを身籠っていることを周囲に教えている。

ディデ おい、今坐ったのがゴゴーを訪ねて来た人だな。
シプー ええ。(また蝋燭に火を点し始める)
ディデ やせて、ふとって、――ゴゴー見ろよ。(幕間から覗き見る体)あれはあんたの連れ合いだろ。
ゴゴー ……。(見ようとしない)
ディデ 何故隠す。ポッツォやラッキーに聞けばすぐにわかることだ。
ゴゴー ……。
ディデ つまりこういうことなんだろ。死んだと思っていた連れ合いが無事に生きていたことがわかってあんたは戦争へ行ったことを後悔している。(ゴゴーの足を見て)取り返しのつかない行為が悔いても悔やみ切れない。だからせめてオレには戦争へ行くなと言う。
ゴゴー そうだ。戦争へ行くやつはバカだ。戦争へ行く役者は役者じゃない。
ディデ 役者はやめるって言ってるだろう! 
ゴゴー ……あそこにいるのは、かつてオレの連れ合いだった女だ。マリマはオレの連れ合いで、連れ合いじゃない。
ディデ 他のやつ呼んで来て確かめさそうか。へ、それに見ろよ、彼女のお腹を。
ゴゴー (突然)何故あんなに強いんだ! 何故腹をふくらませた醜い姿を人前にさらして平気でいられるんだ!(頭を抱える)
ディデ そんなこと……。
ゴゴー あれはオレの子じゃない。あのお腹にいるのは――
ディデ ゴゴーの子どもじゃない? 
ゴゴー ……。
ディデ どういうことだ、そりゃ? 
シプー (蝋燭が)あ、消えた! (トまた慎重に点け始める)

   間。

ゴゴー ……きのうの夕方。家に帰るとマリマの妹のフェティマが来ていた。フェティマに会うのはアルーの葬式以来だった。彼女はオレにマリマが生きて帰っ て来ていると教えてくれた。「ゴドー」を見に来たいとマリマが望んでいると。オレは有頂天になってフェティマに抱きついてたよ。この芝居は成功する、単純 にそう思った。……しかし、マリマが帰って来てたのは四週間も前だった。四週間前に帰って来てたんだ、丘の上から解放されて。
ディデ ゴゴー……。
ゴゴー わかっただろ、ディディー。マリマは、去年の春から、ずっと行方不明だった。
シプー 開幕です、まもなく開幕です! 
ディデ てことは、あのお腹の子は――
ゴゴー そう! オレの子じゃない。あのお腹の子は――、マリマは――、丘の上のやつらの子を身籠ってるんだ!

   暗転――音楽。(「ゴドーを待ちながら」の幕開きの音楽をシプーが生で演奏する。例えば手づくりの木琴のようなもの)
   蝋燭の明かりだけ。
   「ゴドーを待ちながら」の芝居が始まる。(以下しばらく「ゴドーを待ちながら」のテキストからの引用)

   「ゴゴーが道端に坐って、靴を片方、脱ごうとしている。ハアハア言いながら、夢中になって両手で引っ張る。力尽きてやめ、肩で息をつきながら休み、そしてまた始める。同じことの繰り返し。
   ディディー、出て来る。」

ゴゴー 「(またあきらめて)どうにもならん。」
ディデ 「(がに股で、ぎくしゃくと、小刻みな足取りで近づきながら)いや、そうかもしれん。(じっと立ち止まる。)そんな考えに取りつかれちゃならんと 思ってわたしは、長いこと自分に言いきかせてきたんだ。ヴラジーミル、まあ考えてみろ、まだなにもかもやってみたわけじゃない。で……また戦い始めた。 (戦いのことを思いながら、瞑想にふける。ゴゴーに)やあ、おまえ、またいるな、そこに。」
ゴゴー 「そうかな?」
ディデ 「うれしいよ、また会えて。もう行っちまったきりだと思ってた。」
ゴゴー 「おれもね。」
ディデ 「何をするかな、この会合を祝って……(考える。)立ってくれ、ひとつ抱擁しよう。(ゴゴーに手を伸べる。)」
ゴゴー 「(いらいらして)あとで、あとで。」

   「沈黙。」

ディデ 「(白けて、冷たく)昨晩は、どちらでおやすみだったかうかがえますかい?」
ゴゴー 「溝(どぶ)の中だ。」
ディデ 「(びっくりして)溝! どこだね、そりゃ?」
ゴゴー 「(身ぶりなしに)あっちの方さ。」
ディデ 「それで、ぶたれなかったかい?」
ゴゴー 「ぶたれたとも…… でも、それほどでもない。」
ディデ 「やっぱり同じやつらだな。」
ゴゴー 「同じやつ? どうかな。」

   「沈黙。」
   「ゴゴーは、夢中になって靴に取りついている。」

ディデ 「何をしてるのかね?」
ゴゴー 「靴を脱いでるんだ。おまえは脱いだことないのかよ?」
ディデ 「きのうやきょうじゃないじゃないか、全く。靴は毎日脱げよって言ってる。わたしの言うことを聞いときゃよかったのに。」
ゴゴー 「(弱々しく)手伝ってくれ。」
ディデ 「痛いのかい?」
ゴゴー 「痛い! こいつときたら、いまさら痛いのかときた。」
ディデ 「(憤然として)そうだろうとも、苦しむのはいつもおまえだけなんだろうよ。わたしは問題にならないんだ。おまえがわたしの身代わりになったところを一度見たいよ。少しは言うことが変わるだろうって。」
ゴゴー 「おまえも痛かったこと、あるのかい?」
ディデ 「痛かった! こいつときたら、いまさら痛かったかときた。」
ゴゴー 「(人さし指を突き出し)だからっておまえ、ボタンをはずしっぱなしにしとくことはなかろう。」
ディデ 「(下を見て)ほんとだ。(ボタンをはめながら)小さいものでも野放しはいけない。」
ゴゴー 「むりもないがね。おまえは、いつでも、最後の瞬間までがまんしているんだから。」
ディデ 「(夢みるように)最後の瞬間……(瞑想。)なかなかだ。しかし、きっといい。そう言ってたのは誰だっけ?」
ゴゴー 「手伝ってくれないのかい?」
ディデ 「ときには、わたしも、それがとにかくやってくると思う。すると、なんだか、まるでこう妙な気分になる。(帽子をとって、中を眺め、手でかき回 し、ふるってみてから、またかぶる。)なんと言ったもんか? ほっとして、同時にこう……(言葉を捜す)……愕然として。(おおげさに)が―く―ぜ―んと してだ。(また帽子をとって、中を眺める。)おやおや! (帽子の中からなにかを追い出すように叩いて、再び中を眺めてから、かぶる。)しかしまあ…… (ゴゴーは、たいへんな努力のおかげで、靴を脱ぐことに成功した。……)

   ゴゴーの足は義足である。

   「……彼は靴の中を眺め、手を突っ込んでみる。それから、ひっくり返して、ふるう。地面になにか落ちなかったか捜す。なにも見つからない。再び手を中に入れる。ぼんやりした目つき。」どうだね?」
ゴゴー 「なんにもない。」
ディデ 「見せてごらん。」
ゴゴー 「見たってなんにもないよ。」
ディデ 「もう一度はいてみな。」
ゴゴー 「(自分の足をしらべてみてから)ちょっと風に当てよう。」
ディデ 「まさにこれが人間さ、悪いのは自分の足なのに靴にくってかかる。(再び帽子をとって、中を眺め、手でかき回し、ふるってみて、上から叩いたり、 中を吹いたりしてから、またかぶる。)少々心配になってきた。(沈黙。ゴゴーは、足をふるい、よく風が通るように親指を動かしている。)泥棒のうち一人は 救われたんだ。(間。)こりゃあ、率としちゃ悪くない。(間。)ゴゴー……」
ゴゴー 「なんだ?」
ディデ 「悔い改めることにしたらどうかな?」
ゴゴー 「何をさ?」
ディデ 「そうだな……(捜す。)そんな細かいことはどうでもよかろう。」
ゴゴー 「生まれたことをか?」

   「ディディーは、気持ちよく笑いだすが、すぐに手を恥骨のあたりに当てて、こわばった顔つきで笑いを噛み殺す。」

ディデ 「もう思いきって笑えもしない。」
ゴゴー 「不能ってやつだな。」
ディデ 「せめて微笑か。(彼の顔は最大限の微笑にくずれるが、そのままこわばってしまう。そして、しばらく続くが、やがて急に消える。)だめだ、これじゃあ。しかしまあ……(間。)ゴゴー……」
ゴゴー 「世の中のやつはみんなばかさ。」

   「ゴゴーは、つらそうに立ち上がり、びっこをひきひき下手袖に向かって歩きだすが、立ち止まると、片手をかざして、遠くを眺める。やがて、振り向い て、今度は上手袖に向かって歩き、遠くを眺める。ディディーは、それを目で追ってから靴を拾いに行き、中をのぞき込むが、あわてて放り出す。」

ディデ 「プッ!(唾を地面に吐く。)」

   「ゴゴーは、舞台中央まで戻って来て、舞台奧を眺める。」
   劇場の外を走る国連防護軍の車両の音が次第に近づいて来る。

ゴゴー 「悪くないな。(回れ右をすると、今度は舞台の端まで来て、観客の方を向き)いい眺めだ。(ディディーの方を振り向いて)さあ、もう行こう。」
ディデ 「だめだよ。」
ゴゴー 「なぜさ?」
ディデ 「ゴドーを待つんだ。」
ゴゴー 「ああそうか。(間。)」

   車両の響きがさらに高くなる、台詞も聞こえないぐらいに。
   ト音は消え、ゴゴーとマリマを残して辺りが暗くなる。

ゴゴー (独白)演技に集中している意識のほんのちょっとした隙間にひとつの情景が浮かんできた。マリマとアルーと三人で夕食のテーブルを囲んでいる。お かずはアルーの好きなシチューとポテトサラダ。と、アルーが口に運ぼうとしていたスプーンの手を振り回した。「丘の上のやつらをやっちまえ!」 アルーは テレビを見ていて、画面から流れてくるその言葉を鸚鵡返しにしただけだった。とマリマがアルーの小さな手を掴んで、叱った。「何てこと言うの、アルー。二 度とそんなこと口にしないで。いいから、その手を下ろしなさい!」 今にもマリマは泣きださんばかりだった――。実際、マリマの親父さんは丘の上の連中の 血を半分ひいていた。お袋さんの方はオレと同じ緑の血だったが。マリマはフェティマにこう言ったらしい。この子は、このお腹の子どもは誰の子でもない。丘 の上のやつらの子でも、町の子でも、緑の子でもない。そしてゴゴー、オレの子どもでももちろんない。この子は、人間の子だと。……人間の子。――マリマ、 そりゃあ一体どういう意味だ……? 人間の子、人間の子……

   ゆっくりと暗くなる。






 2 黒鳥の歌
   
   芝居のはねたあとの夜ふけ。がらんとした舞台。
   舞台奧にはがらくた道具がごたごたと積み上げてある。
   夜。真っ暗だ。
   ゴゴー、「ゴドーを待ちながら」の衣裳のまま、蝋燭を手にして上手袖(楽屋)から登場。もう片方の手には綱一本。

ゴゴー (酔っている)ああ、肘がしびれちまってるよ。したたか打ったもんな。内も外も砲撃でガタガタだ、この劇場(こや)は、綱ひとつ満足に結べねえ。 時間かけていい具合に首を引っかけられるようにしても、その木が取れちまうんだからな。もっとしっかりしたもんでねえとまた失敗しちまう。(舞台の天井を 見て)バトン降ろしてこいつ(綱)を結わえるか……。シプー。おいシプー! いねえのか。椅子持って来てくれ。おーい! どこへ行っちまったんだ。打ち上 げからここへ戻って来てるのは確かなはずなんだがな。……あの子はよく働いたよ。初めてにしちゃ上出来だ。できりゃもっとまともな状態で舞台の仕事させて やりたかったけどな。……(蝋燭を立てて、坐る。足をさすりながら)ああ、酔っちまったかな。周りの調子に煽られて、飲み過ぎちまった。しかし、どこに酒 隠してやがるんだろ。芝居の後の打ち上げだっていうと、何もかも忘れてバカみたいに盛り上がっちまう。そして次の芝居の話だ。……ああ気持ち悪い。地下室 ていうやつは好きになれんな、ああいう閉じ込められた所は。第一、空気が悪い。煙草の煙がもうもうとして喉を痛めちまう。役者には不向きな所だ。……オレ もバカだね。首吊ろうとしてる人間が身体の心配して何になる。足がまたニョッキリと生えてくるわけでもないし。……(客席の方を見て)おーい。(ト耳を澄 ます)響くよ。何にも見えやしねえや。ああ、ここまで(胸を押さえる)冷たくなっちまったようだ、この足みたいに。ヒョコタンヒョコタン義足引きずって道 化役者でございたってみじめなだけだな。後できるってったら、寝たきりの老いぼれか、坐ったままのプロンプターか。いっそ死に損ないの役でも当ててくれ りゃいいのさ。……(客席の方を見て)ああ、何にもないなあ。何にもない。こんなところのためにすべてを捨てて打ち込んできたのか。……真っ暗闇の底なし だ。底の底まで吸いこまれちまいそうだ。……ああ、寒い。夏だっていうのに。(客席から)風が吹き下ろして来る。(襟元を合わせじっと客席を見る。風に耐 えているよう) シプー、シプー! 怒鳴ったりしねえから出て来てくれよ。

   シプー、椅子を持って現れる。

ゴゴー 誰だ? おい? そこにいるのは? シプーか。
シプー ゴゴーさん。
ゴゴー シプー。もう寝てたのか。
シプー いいえ、いいんです。
ゴゴー 悪いな、そこに置いといてくれ、椅子。
シプー 何に使うんです?
ゴゴー 何にって……。たいしたことじゃないよ。たいしたことじゃない。
シプー ……。
ゴゴー 疲れちまったのさ。疲れたから、坐る。椅子は坐るためのもんだからな、本来は。
シプー それ……?
ゴゴー え?
シプー 衣裳……?
ゴゴー ああ、これか。いいんだよ、このままで。
シプー でも汗になってるでしょ。カゼひきますよ。
ゴゴー (傍白)今から死のうってやつがカゼの心配しても――いや、着てたいんだよ、衣裳を、名残りが惜しいのさ。ひとつ芝居が終わるごとにいつもこう だ。名残惜しくて酒飲みながら一晩衣裳着て過ごす。そして次の朝、衣裳脱いで、冷たいシャワー浴びて、おしまい。今までやってた役とおさらばする。一種の 儀式さ。もっとも今はシャワーなんて浴びられないけどな。だから、いいんだよ、心配しなくて。
シプー ……。
ゴゴー もう行っていいよ。すまなかったな。
シプー でも――
ゴゴー 行っちまいな! 子どもは寝るんだ!
シプー ――
ゴゴー ――すまん。悪かった。子どもを怒鳴る大人は最低だな……。
シプー ……それじゃ。
ゴゴー ああ。
シプー ボクにできることがあったら――
ゴゴー いいよ。……行っちまいな。
シプー おやすみ、ゴゴー。(去る)
ゴゴー (一瞬呼び止めようとするが……)おやすみ。

   間。

ゴゴー ……(しかし)本当に何にもないな。ちょっと前に舞台と客席が一つになって泣いたり笑ったりしたそのカケラも残っちゃいない。ハッ、本当によ。し かし「ゴドー」がこんなに受けるとは正直思ってなかった。不条理劇だぞ。それにこんな悲惨な芝居はない。要は、身ぐるみ剥がされ、袋叩きにされ、腹を空か せて、どこへも行けずに来ぬ人を鬱々と待ち続ける、そんな芝居だ。ドラマチックでも何でもありゃしない。ま、役者は舞台に立てれば、喜劇だろうが、悲劇だ ろうが、何だってかまやしないがな。舞台に出て、役があればそれでいい。台詞は多いに越したことはないがな。……でもお客は泣いてた。「ゴドーさんが、今 晩は来られないけれど、あしたは必ず行くからって言うようにって」……。閉じ込められ、腹を空かせ、暴力に怯えて、無気力に鬱々と日がな一日、どこか他所 の国の助けを待っている――自分たちの姿を舞台の上に重ね合わせて……。もっとも笑ってたのは、このオレの無様な演技に対してだったのかもな、びっこを引 いた……。(首を吊るのに適当な場所を見つけようとする)今度はしくじらねえぞ。(綱を確かめる)演劇よ、さようならだ。……

   ゴゴーの姿が見えなくなる。
   ト客席の隅にディディーとマリマが現れる。手に明かり(石油ランプのようなもの)を持っている。

ディデ それが何故わかるの、ゴゴーがここにいるなんて? 考えられないよ。ゴゴーは打ち上げで飲んでた。飲んで酔っぱらって気分悪くなって、一人で家に帰ったんじゃないの。
マリマ ……。
ディデ 何だか知らないけど、オレを頼りにしてもらっても困るんだよな。後は一人で探してよ。ここまでだからね。ゴゴーとは舞台の上だけのつきあいで、どっちかというとあんまり性格も合わないし。あんたのこともゴゴーから断片的に聞いただけで……。
マリマ どういう風に……? 
ディデ (困って)どういう風にって……。昔、女優やってたとか、男の子が一人いたとか……
マリマ ――それから? 
ディデ それから――戦争が始まってすぐに、……殺された。
マリマ 殺された。……そう、殺されたと言ったの、あの人。
ディデ そう思い込んでたんだろ。行方不明は死を意味するんだから。とにかく、あんたが一人で劇場来るっていうから、あんまり危なっかしいからついて来てやっただけで、それ以上のことはしないよ。ゴゴー見つけたら自分でその渡すもん渡してくれよな。
マリマ 渡せるかしら……?(胸にしまっていた紙の筒を取り出す)
ディデ 知らないよ、オレは。渡せるかどうかなんて。そういうのやめてくれよな。
マリマ 何、どういうの?
ディデ 気になるっていうか。渡すとか渡さないとか、そういうの中途半端だと気持ち悪いんだ。何の気がかりも残さずにこの町を去りたいんだよ。あしたにはきれいさっぱり軍に入るんだ、オレは。
マリマ ごめんなさいね。他に適当な人いなかったし、それに舞台の上のあなたとゴゴー、よく息が合ってたから……。
ディデ だから、舞台と実際の人間関係は別だって。わかるだろあんたも。
マリマ そうね。ごめんなさい……。
ディデ ……いいけど。
マリマ (舞台の上にゴゴーを見つけて)あ、ゴゴー。
ディデ (本当に)いたよ。何ロープ持ってうろうろしてるんだ?
マリマ (ディディーの陰に隠れるように)お願い、後は一人で渡すから……。
ディデ わかったよ。段取りつけてくる。そこでちょっと待ってて。(ゴゴーが適当な横木に綱を結わえつけようとするのを見て)ゴゴー、何してるんだよ、ゴゴー。

   ディディー、舞台に上がる。
   ゴゴー、ディディーに気づき、慌てて首を吊ろうとするのをやめる。

ディデ 何してるんだよ。
ゴゴー いや、別に……。
ディデ まさか、あんた――
ゴゴー ――違うさ。これは、その、芝居のダメ出しさ。
ディデ ダメ出し?
ゴゴー そう。ほら(ト「ゴドーを待ちながら」の台詞)「ゴゴー、軽い――枝、折れない――ゴゴー、死ぬ。ディディー、重い――枝、折れる――ディディー、ひとりぼっち。(間)ところがだ……(うまい言い回しを捜す)」
ディデ 「そいつは考えなかった。」
ゴゴー 「(言い回しを見つけて)大は小を兼ねる。」――と、ここだ。全然うまくいかなかった。客はクスリともしない。だから、そこのところをもう一度――
ディデ そりゃ、熱心なことで。
ゴゴー (傍白)この足で熱心もくそもないな。
ディデ ゴゴー、実は話が――
ゴゴー やればできるじゃないか。
ディデ え?
ゴゴー きょうのおまえの演技、良かったよ。
ディデ あんたが人を褒めるとは以外だな。
ゴゴー 半分は餞別代わりだ。役者であり兵士である、愚か者に送る餞別。
ディデ やっぱりな。
ゴゴー オレのことは放っといて打ち上げに戻りな。まだ盛り上がってんだろ。おまえの送別会みたいなもんなんだから。主役がいなきゃつまらんよ。
ディデ 主役はあんただよ。
ゴゴー だったら――何もかも責任取らなくちゃならんな。死んでお詫びをするか。ええ。それとももう片方の足をお客様に差し上げるか。
ディデ ――
ゴゴー 何だあのザマは。あの演技は。――足! 足! 足! クソ! オレも気づいちゃいたさ。満足に芝居なんかできるはずがないってことを。しかし、ど こかにやれる自信があって、動きごまかして、自分ごまかして稽古してたのよ。それが見ろ。舞台の上じゃ通用しねえ。オレの足見て、客のやつら溜め息漏らし た。あそこ(客席の一隅)に坐ってた女は「ああ!」て口を覆ったよ。同情されてたんだオレは、この舞台の上で。こんなみじめなことがあるか。何故言ってく れなかったんだ、ディディー。あんたみたいな片輪には芝居なんかできっこない、やめちまいな、とっととここを去れ!ってよ。
ディデ そんな同情なんてしてないよ。みんなあんたの演技に腹かかえて笑ってたよ。
マリマ (傍白)そうよ、ゴゴー。
ゴゴー ウソを言うな!
ディデ ウソじゃない、本当さ。打ち上げにもあんたのファンって人が来てたじゃないか。あんたは変わらないって――
ゴゴー (笑う――絶望的に乾いて)どいつもこいつもウソつきだ! 本当のことを言えばいい。ごまかして、隠して――
ディデ ウソじゃないよ。きょうのあんたの演技見て、昔あんたがやったハムレットの墓堀りを思い出したってわざわざオレに言いに来たんだ。あんたすごかったらしいじゃないか。どこの新聞でも雑誌でも取り上げてさ。あの時の演技に負けないぐらいきょうの出来も良かったって。
ゴゴー 本当の話かよ……?
ディデ ああ。
ゴゴー そんなこともあったなあ……。あの時は初めての大舞台で、周りは名だたる役者ばかり。こっちは――若かった、若くて野心に満ちていた――けれど無名の役者。そりゃ必死に稽古した。嫌がる相棒をなだめたり、時には脅かしたりして稽古したもんさ。
マリマ (傍白)私も台詞を合わせてあげたわ、夜遅くまで――

   ト、ゴゴー、「ハムレット」の墓堀りの場面をやる。

ゴゴー 「(手に鋤など持っている)ということは「正当暴行」ってやつだな、そうにちがいあるめえ。つまりこういうわけだ、もしおれが故意に溺れたとす る、こいつは行為ってもんだ。行為には三通りの方法がある、つまり、やる、やらかす、やりとげる、だ。しかるがゆえにだ、この女は故意に溺れたってわけ さ。」
ディデ 「ちょいと待てよ――」
ゴゴー 台詞、わかるのか。
ディデ 一応役者の端くれだからな。
ゴゴー よし。(続きをやる)「まあいいから聞けよ。ここに水があるとする、いいな、ここに人間がいるとする、いいな、この人間がだ、その水のとこまで歩 いて行って、溺れるとする、となりゃ、いやでもおうでも、こいつが行ったってことになる、そうだろうが。ところがだ、もしもこの水のほうがだ、その人間の ところまで出かけて行って、溺らせるとする、となりゃあ、てめえで勝手に溺れたってことにはなるめえ。しかるがゆえにだ、自殺の罪を犯さねえやつはてめえ のいのちを縮めやしねえってことになる。」
ディデ 「それが法律ってもんか?」
ゴゴー 「決まってらあな、それが検死のお役人の法律ってもんよ。」
ディデ 「ほんとうのところを言ってやろうか? もしもこの女が身分の高いご婦人じゃなかったら、キリスト教徒にふさわしい葬式はできなかったろうぜ。」
ゴゴー 「わかってるじゃねえか、おめえ。まったく聞くもあわれな物語よ、お偉がたは、こちとらと同じキリスト教徒でありながら、身投げや首つり自殺するにも都合がいいってんだからな。」……いつもこの辺でむずがゆくなるんだ。
ディデ むずがゆい?
ゴゴー オレはおまえと違ってキリスト教徒じゃないからな。
ディデ なるほどね。
ゴゴー 「よし、もういっちょう聞いてみるか。まっとうに答えられねえようなら、いさぎよく両手をうしろにまわして――」
ディデ 「いやなこと言うな。」
ゴゴー 「船や家を作る大工よりもっと頑丈なもの作るやつ、だれだ?」
ディデ 「絞首台を作るやつよ、だっておめえ、お客さんが入れ替わり立ち替わり千人こようと平気だもんな。」
ゴゴー 「いいこと言うじゃねえか、絞首台はいい。だが絞首台はどういいのかわかるか? 悪いことするやつにいい道具なんだぞ。おめえはどうだ、絞首台の ほうが教会よりも頑丈に作られるってわけだろう、こんな言いぐさは悪いことだ。しかるがゆえにだ、絞首台はおめえにはいい道具だろうよ。さあ、もう一度や りなおしてみな。」
ディデ 「船や家を作る大工よりもっと頑丈なものを作るやつ、だれだか?」
ゴゴー 「そうさ、やすやすと答えたら休ませてやるぜ。」
ディデ 「うーん、わかったぞ。」
ゴゴー 「言ってみな。」
ディデ 「うーん、やっぱしちがうなあ。」
ゴゴー 「ま、その木偶(でく)頭を絞ったってなんにも出てきやしめえ、木偶の馬の手綱を絞ったって走り出すこたあねえからな。今度そう聞かれたらな、墓掘りって答えな、「墓掘り」が作る家は最後の審判の日までもつだろうが。さあ、ヨーンの店に行って酒を買ってきな。
    (掘りながら歌う)
     若いころには惚れたこともあったぜ
     甘ずっぱい気になることもあったぜ
     惚れてこがれてやせる思いしたに
     すっぱい女(あま)だぜ ままならぬ。」

   ディディー、歌の途中から素に帰り呆としていた。

ゴゴー (笑いながら)愉快だ、愉快だよ。よかったよなあ、あのころは。
ディデ 「墓掘り」が作る家は最後の審判の日までもつ……。
ゴゴー どうした?
ディデ ……あの朝オレは、つき合ってた彼女に会いに町の外れの「友愛の橋」まで行ってたんだ。
ゴゴー あの朝?
ディデ お袋が水汲みに行って殺された、あの朝……。急な呼び出しの電話だった。彼女の思いつめたような声に急かされて「友愛の橋」まで出かけて行った。 待ってたのはいつもと変わらない彼女だった。今思うと必死に演技してたんだろうけど……。とりとめのないことを一時間ぐらいおしゃべりして別れたよ。その 後家に帰ってお袋が撃たれたことを聞かされた。水汲みおっぽり出してどこ行ってたんだって、親父ににらまれたよ。……次の日、彼女の住んでいた町が丘の上 のやつらに攻撃された。町がひとつ瓦礫になったんだ。心配で気が気でなかった。悪いことはたいてい立て続けに起こるもんだからな。……しかし、彼女は無事 だった。無事だったと思うよ。
ゴゴー どうしてそう思う?
ディデ なにしろ攻撃が始まる前に彼女たちの仲間はみんな町から消えちまってたんだから。仲間内だけで示し合わせて黙って丘の上へ逃げ出してたんだ。何十年と近所づきあいしてきた人たちを見殺しにして。攻撃があしたあることを知らさないで――。
ゴゴー ひでえやつらだ! 
ディデ あの時彼女はそのことをオレに打ち明けようとしてたんじゃないかな? そして家族とともに丘の上へ行き、しばらく会えないかも知れないことを――。
ゴゴー どうかね? やつらは自分たちの仲間以外は虫けらと同じだと思ってるからな。
ディデ どうしようもなかったんだ。攻撃があることを他のものに知らせれば命の保証はなかっただろうし、みんなが丘の上へ行くのに彼女だけがここに残ることもできなかったのさ。
ゴゴー ……おまえより家族を取ったってわけか。
ディデ さよならは言わなかった。あの橋で別れる時、じゃ、またあしたね、そう言ったんだ。あした――それがいつのあしたかはわからないけど……。
ゴゴー でもおまえは、親の敵を取りに丘の上のやつらを、おまえの恋人とその家族を殺しに行くっていうじゃないか。
ディデ 彼女たちじゃない! 彼女たちを牛耳っているファシストのやつらさ! 
ゴゴー 同じことさ。
ディデ 違う!
ゴゴー とにかく生きることを考えろ。戦争に行くことはやめて生きて芝居して――
ディデ 首吊ろうとしてた男が、笑わせるよ。
ゴゴー 何を、バカな。
ディデ そのロープ、首をくくるために――
ゴゴー だからこれは、ダメ出しを――
ディデ いいよ。わかったよ。オレの生き方はもう決まってるんだ。
ゴゴー ……しかし、女ってやつはひどいもんだな。じゃ、またあしたって言ったのか。あしたなんてわかるもんか。きょう生きていられるかどうかさえわから ないのに。その女は「あした」も生きのびるつもりなんだろうよ。たとえ自分が死んでも、子どもっていう自分の分身育てて命をつなぐってわけだ。あしたとい う自分を。それに比べりゃ男にはあしたはない。きょうこの時だけ。きょうの自分があるきりだ。
ディデ きょうの自分……。
ゴゴー そうだ。
マリマ そうじゃないわ。

   ト、マリマが現れる。

マリマ そうじゃないわ。あしたを生きのびようとして生きてこれたんじゃないわ。きょう、死ねなかった。死にたくない理由があった……。ディディーの彼女も多分、そうよ。
ゴゴー マリマ……! 
マリマ 久しぶり……。
ゴゴー ああ……。
マリマ 芝居、良かったわ。
ゴゴー そう、らしいな。
マリマ ゴゴーの演技も。
ゴゴー (首を振る)
マリマ 本当よ。
ゴゴー 褒めるんならこいつ(ディディー)を褒めてやってくれ。
ディデ オレは、いいよ。
マリマ もちろんディディーも良かったわ。芝居は一人じゃできないもの。
ゴゴー そりゃそうだ。
マリマ 足、大丈夫?
ゴゴー ああ……。
マリマ 知らなかった、足のこと……。
ゴゴー ……オレはおまえが生きているんじゃないかと思ってた。いや、思ったことがあった。
マリマ ゴゴー?
ゴゴー アルーの墓参りに行った時、それまでなかった薄紫の百合の花が手向けてあった。マリマの好きだった花だ。もしかしたらマリマが生きてるんじゃない か――そう思った。しかし次の瞬間には必死でその考えを打ち消してた。希望したり期待すると碌なことはないからな。それに生きていれば……
マリマ 生きていれば……?
ゴゴー すぐにでもオレのところに戻って来るはずだ……。
マリマ ……。
ディデ もう帰るよオレ。疲れたしさ。それにあしたの準備もあるし。
ゴゴー いてくれよ、ディディー。
ディデ いてくれったって……。夫婦の内輪話を聞く趣味はないよ。
ゴゴー 頼むよ、ここにいてくれ。
ディデ しかし――
ゴゴー 誰かいてくれなきゃ――ここにいてくれ。
ディデ でも、彼女の方は……? 
マリマ ……。
ゴゴー なあ、ディディー。
ディデ 少しだよ。ほんの少しだけ。本当はいやなんだよな、こういうの。
ゴゴー ……(誰にともなく)アルーの葬式の後、オレは民兵に志願した。殺されたマリマと――殺されたと思ってたんだ――そしてアルーの敵を取るために。そうする以外何ができたっていうんだ。
ディデ それでも人には行くなって言う。
ゴゴー ……しかし、ついてない時は何をやってもダメさ。入隊して戦場に行き一月も経たないうちにこのザマだ。(義足の足を叩く)近くに落ちた砲弾の破片 がすねを真っ二つに引き裂いた。それに肩と、そして頬を掠めていきやがった。ここ(額)にでも当たってくれれば良かったのさ。頭をぶち抜いてれば。
マリマ ゴゴー。
ディデ あんたは不死身さ。足なくしても一年ちょっとで舞台に立っちまうんだから。
ゴゴー 舞台以外何にもなかった……。そしてきょう、それもダメとわかった……。
ディデ 一晩寝ちまえばまた気分も変わるさ。それにもう一人じゃないんだし。
ゴゴー ひとりさ。前よりもっとひとりだ。

   間。
   マリマ、一枚の紙を取り出す。

マリマ これを、渡しに来たの。
ゴゴー ……?

   ゴゴー、動かない。
   マリマ、ゆっくりと近づき、その紙を渡す。

ゴゴー ……あっ!(思わずマリマを見る)
マリマ アルーの絵よ。

   ディディー、覗いてみる。

ディデ よく似てるじゃないか。ゴゴーの特徴よく捉えてるよ。
マリマ 妹の家にあったの。アルーを遊びに連れて行った時にキルマと一緒にあの子が描いたらしいの。この絵はあなたに渡さなきゃいけないと思って――
ゴゴー (小さな声で)死んでしまえばよかったんだ……。
ディデ え?
ゴゴー (マリマ見て)アルーと一緒にあの時死んでしまえばよかったんだ。
マリマ 私は、私は……(打ちのめされる)
ディデ 何てこと言うんだよ。
ゴゴー (泣く)
マリマ 何度も死のうとしたわ。
ゴゴー (絵をマリマに投げつけ)聞きたくない!

   長い沈黙。
   ディディー、絵を拾い上げて、見る。

ディデ あれ、この絵……?
マリマ 何度も死のうとした。だけど、死ねなかった。
ゴゴー ……。
マリマ 闇にまぎれて、丘の上のファシストたちはやって来たのよ。あなたはちょうど旅公演に出ていた。私は行かないでくれって頼んだわ。とても心細かったもの。
ゴゴー そうだった……。
マリマ けど、あなたは旅に出た。それはいいのよ、あなたから芝居取ったら何も残らないし、仕事だもの。それに丘の上の連中が本当に襲って来るなんてまだ誰も信じられずにいた。
ゴゴー オレは芝居を取ってアルーを見殺しにしたと言いたいんだろ!
マリマ 違うわ!
ゴゴー ……。
マリマ ……アルーと私は逃げ遅れて地下室に隠れてた。でも獣のように鼻のいい丘の上の連中はすぐに私たちを見つけたわ。そして地下室から出てこようとしない私たちに優しい声で――
ディデ (丘の上の連中の声で)何もしやしないから出ておいで。
マリマ お金ならバッグの中にあるわ。それに宝石が鏡台の引き出しにある。それを取って早く出てって。
ディデ (丘の上の声)そんなものいらねえよ。いいから出て来な、子猫ちゃんよ。
マリマ お願い、助けて。
ディデ (丘の上の声)出て来るんだ! ……いい子だから。
マリマ 子どもは助けて。お願い、子どもだけは。
ディデ (丘の上の声)わかったから早く出て来るんだ。でねえとこいつを放り込んで子どもと一緒にミンチにしちまうぞ。
マリマ 丘の上の連中は手榴弾をちらつかせて脅してきた。アルーは怯え切って声も出せずに震えていたわ。私は信じたのよ、丘の上の連中も子どもだけは助けてくれるだろうって。彼らにも良心はあるはずだから、人間のはずだから――
ゴゴー もういいよ。聞きたくない。
マリマ あいつらは私の手からアルーを奪うと庭に出て行った。私は二三人の男に手足を押えつけられて身動きできなかった。そしてあの子の悲鳴が聞こえた、 猫が車に轢きつぶされたような。……私は気を失っていた。その後やつらに何をされたかほとんど覚えていない。ただ耳元で男がこうささやくのだけが――
ディデ (丘の上の声)――あんたいいよ。最高だ。……オレを恨むなよ、みんな命令だ。
マリマ アルーは、私の子どもは?
ディデ (丘の上の声)心配するな。子どもは無事だよ。
マリマ 本当?
ディデ (丘の上の声)ウソはつかねえよ。
マリマ ああ!(喜び)
ゴゴー チキショウ! アルーを返せ。どんな殺され方したか教えてやろうか、ええ、おい!
マリマ やめて!
ゴゴー アルーはな、庭の柵に串刺しにされてたんだ。串刺しにされて身体に三つも穴こさえて、宙ぶらりんで死んでたんだ!

   マリマ、激しいめまいに倒れそうになる。それをディディーが間一髪支える。

ディデ しっかり。しっかりして。
マリマ ……何度も死のうと思ったわ。
ディデ わかってるよ。わかってるよ。
マリマ でも、死ねなかった。逃げることもできなかった。
ディデ 逃げることも……?
マリマ 捕まった女たちは丘の上の連中の慰みものにされた。そこから何人か逃げ出そうとしたけど、捕まった。捕まったものは見せしめのためにみんなの前で 耳を削がれ、目をくり抜かれ、――最後には、これ。(ト首を掻き切る動作) 恐怖に身も心も縮んでしまった。無気力にただ生きているだけ。……そしてある 日、丘の上から自由にされた。その見返りがこの姿よ。
ゴゴー それで死のうとしても死ねなかった……。
マリマ それだけじゃないわ、ゴゴー。
ゴゴー ……。
マリマ 会いたかった、あなたに……。

   間。

ゴゴー ……マリマ。オレは何もかもなくしちまった。この足。そしてアルーもいない。おまえまでいなくなったら、オレはもう……。
マリマ ゴゴー……。
ゴゴー ……それ、何とかしてくれ。
マリマ それって……? 
ゴゴー そのお腹の中のものを何とかしてくれ、そのケダモノの子を! そうすればまたふたり――
マリマ ゴゴー。(首を振る)

   間。

ゴゴー ディディー! おい、ディディー!
ディデ 何だよ?
ゴゴー 丘の上のやつらと戦う前に、お願いだ、頼みがある。
ディデ 何?
ゴゴー おまえは丘の上のやつらを殺したくってしょうがないんだろ? え、そうだろ?
ディデ そういう言い方はよせよ。
ゴゴー ディディー、おまえの敵(かたき)はあの女の腹ん中にいる、一思いに殺っちまってくれ!
ディデ ゴゴー!
ゴゴーさあ! あの女の腹ん中にいる生きものを殺してくれ。オレたちの敵を取ってくれ!
マリマ ゴゴー、もうやめて!

   ディディー、ゴゴーを殴り飛ばす。

ディデ (自分の行為に自分でびっくりして)大丈夫か、ゴゴー。
ゴゴー (何かから逃れるように)何もかもこれからだったんだ。すべてが狂っちまった。すべてが、すべてが……。……「おれは、一生、自分をキリストと いっしょにしてきたんだよ。」……ディディー、合わせてくれよ。きょうが最後の舞台なんだぜ、おまえとオレの。もう一度終いのところを合わせてみてくれ よ。
ディデ しかし、ゴゴー。
ゴゴー 「おれは、一生、自分をキリストといっしょにしてきたんだよ。」
ディデ 「だが、ありゃあ、暑い国の話だぜ! いい気候の!」ダメだ、できないよ……。
ゴゴー 続けるんだ。「そうだな。それに、じきに磔刑(はりつけ)にされちまったな。」

   「沈黙。」
   マリマがすすり泣いている。

ディデ 「もう、ここにいてもしかたがない。」
ゴゴー 「ほかだってだめさ。」
ディデ 「なんだ、ゴゴー、そんなこと言うもんじゃない。あしたになれば、万事うまくいくよ。」
ゴゴー 「だって、どうして?」
ディデ 「あの子が言ったのを聞いてなかったのか?」
ゴゴー 「いいや。」
ディデ 「ゴドーがあしたは必ず来るって言っていた。(間。)どうだ?」
ゴゴー 「じゃあ、ここで待ってればいい。」
ディデ 「ばかいっちゃいけない。夜露をしのがなくちゃあ。(ゴゴーの腕を取り)さあ、行こう。(ゴゴーを引っ張る。ゴゴーは、初め従うが、やがてさからう。二人は立ち止まる。)」
ゴゴー 「(木を眺めて)綱一本ないのが残念だ。」
マリマ ゴゴー! こうすればいいの! 

   マリマ、自分のお腹を振り上げた両の拳で強く叩く。

マリマ こうすれば、こうすれば!
ディデ マリマ!(マリマの腕を押さえる)
マリマ 放して! お願い、放っといて!
ディデ 神の与えた試練なんだよ、これは。
ゴゴー そんな無慈悲な神様は、キリストかアラーかどっちなんだ?
ディデ 神をバカにするんじゃない。
マリマ ゴゴー。私には殺せない。この子は蹴るの、私のお腹を。心のどこかでこの子を消してしまおうとしている私を、蹴飛ばすの。……この子も生まれてく ればいつかアルーと同じように絵を描くようになるわ。その時私がいなかったらどうやってこの子は親の似顔絵を描くっていうの。
ゴゴー 綱一本ないのが残念だ、マリマとその子どものために……。

   マリマ、泣きながら走り去る。

ディデ 追いかけないのか。
ゴゴー ……。
ディデ 行かないのか。
ゴゴー 待つんだ。
ディデ 何をさ?
ゴゴー ゴドーさ。
ディデ ゴドーは行っちまったよ。
ゴゴー ゴドーが行っちまった……?
ディデ ああ、そうだ。あの子こそゴドーさ。マリマのお腹の中にいる子どもこそ、ゴドーだよ。
ゴゴー ゴドー……。マリマのお腹の中にいる子が、ゴドー。

   沈黙。

ディデ 行って引き止めるんだ。
ゴゴー 息を引き取るようにか。
ディデ きょうはどうしたらいいかわからなくても、とにかく引き止めるのさ。今を逃したら、もう二度と呼び戻せない。
ゴゴー ああ。(動かない)
ディデ ゴゴー……。

   シプーが慌てて走って来る。

シプー ゴゴー! あの人が!
ディデ あの人?
シプー やせて、太って、美しい人が――
ディデ マリマが――どうした? 
シプー 倒れてます、お腹を押さえて――
ディデ ええ!
シプー 苦しそうな声を上げて。ゴゴー、助けてって!
ゴゴー マリマ……!
シプー 早く、早く、来て下さい!(走り去る)
ディデ ゴゴー、何してるんだよ。早く行かないととんでもないことになるぞ! ゴゴー! ゴゴー!(ゴゴーを引っ張る)
ゴゴー (動かない)
ディデ どうかしてるぞ! 心が節穴になっちまったのかよ! (絵を示して)これを見ろよ。よく見てみろよ。ここに何て書いてある? これが読めないのか。
ゴゴー ……「ぼくのだいすきな おとうさんおかあさん アルー」
ディデ そうだよ。おとうさんおかあさん、だ。ほら、この絵は二つに切り取られてる。こっち側にはアルーのおかあさん、マリマの似顔絵が描いてあったんだ よ。それを二つに切り取ったマリマの気持ちがあんたにはわからないのか。この絵は二つでひとつなんだ。この絵を元のようにできるのは、ゴゴー、あんたしか いないんだよ。
シプー声 (奧で)早く来て、ゴゴー!
ディデ ゴゴー、ほら。ゴゴー!(ゴゴー、動かない) あんたは大バカヤローだよ!(走り去る)

   沈黙。

ゴゴー ……教えてくれ、アルー。おとうさんはどうしたらいい? 今でもマリマはおまえの大好きなおかあさんか。……すると、あのお腹の子は、おまえの弟か。……オレは、おとうさんは、今でもおまえの大好きなおとうさんか。……アルー。アルー。オレはどうしたらいい?
   (客席を見て)もう何もかも真っ暗だ。真っ暗闇だ……。

   暗転。

   しばらく間をおいて、パッと明るくなる。役者たちが出て来る。シプー。ディディー。マリマ。ゴゴー。
   観客の拍手――。
   その音と重なり入れ替わるように銃撃戦の音が高まっていく。ト、地の底がひび割れるような大音響――砲弾の落ちた音。皆、砲弾の落ちた方(客席のあちら)を向き、様々な表情を浮かべ凍りつく。
   ……そしてゆっくりと暗くなる。

                     (幕)








*この芝居は事実をヒントに創作したオリジナル作品です。




○引用・参考文献
『ゴドーを待ちながら』 サミュエル・ベケット 安堂信也・高橋康也訳 ベケット戯曲全集 白水社
『ハムレット』(第五幕第一場より) シェイクスピア 小田島雄志訳 白水Uブックス
『白鳥の歌』 アントン・チェーホフ 神西清訳 チェーホフ全集 中央公論社


○参考文献
『サラエヴォでゴドーを待ちながら』 スーザン・ソンタグ 木幡和枝訳 『批評空間』第Ⅱ期第1号1994 大田出版
『サラエヴォで可能なこと』 (特別インタヴュー)スーザン・ソンタグ エリカ・マンク/戸谷陽子訳
『シアター・アーツ』1994年1号 晩成書房
『民族という名の宗教』 なだいなだ 岩波新書(新赤版204)
『ユーゴ紛争』 千田善 講談社現代新書
『ユーゴスラヴィアで何が起きているか』 柴宣弘 岩波ブックレット299
『解体ユーゴスラビア』 山崎佳代子 朝日選書476
『ボスニア・ヘルツェゴヴィナ史』 ロバート・J・ドーニャ/ジョン・V・Aファイン 佐原徹哉・柳田美映子・山崎信一訳 恒文社
『サラエボ日記』 ライモンド・レヒニツァー 林瑞枝訳 平凡社
『サラエヴォ・ノート』 フアン・ゴイティソーロ 山道佳子訳 みすず書房
『バルカン・エクスプレス』 スラヴェンカ・ドラクリッチ 三谷恵子訳 三省堂
『ズラータの日記』 ズラータ・フィリポヴィッチ 相原真理子訳 二見書房
『地域紛争を知る本』 別冊宝島195号
『ボスニア 一人ぼっちの救出作戦』 水口康成 日本放送出版協会
『バルカンに生きる』 水口康成 日本放送出版協会(写真集)