だからあなたのそばがいい

            作・広島友好




   ○とき
    この頃のこと

   ○ところ
    ミズモのアパート その部屋


   ○登場人物
    ミズモ 中年に差しかかった男
        某大学のB級日本そば研究サークルの元部長
    ユン君 ミズモのサークルの後輩 社会人
    もえな ユン君の彼女 元演劇部 社会人
    (男の声) ミズモのサークルの別の後輩 社会人






   アパートの一室。ミズモの部屋。
   だれもいない……。

   ユン君ともえな、部屋に入ってくる。
   ユン君はミズモと同じアパートの住人。ミズモの部屋にいつものように勝手に入ってくる。

ユン君 あれ、先輩いないや。先輩。ミズモッ先輩。
もえな いいの、勝手に入って。
ユン君 いいのいいの。オレと先輩はそういう仲。
もえな どういう仲よ。
ユン君 レスキューしたこともある。
もえな レスキュー?
ユン君 部屋で寝込んでる先輩を助けたの。熱中症で。一晩中氷枕当てて。寄り添って。
もえな へぇ。もえなにはしてくれたことないのに。
ユン君 なに言ってんの、お前病気一つしないじゃない。
もえな そうだけど。ちょっと残念、ちょっとジェラシィ。
ユン君 バァカ。
もえな んふ。
ユン君 にしても、連れてくるって言っといたのになァ。仕事かな? そう言や、また仕事変えたって言ってたな。
もえな 卒業しても続くわけ、そういう関係?
ユン君 え? ああ、オレと先輩? アパートずっと一緒だもん、大学から。
もえな サークルの、先輩でしょ。
ユン君 だいぶ上だけど、年。
もえな ふぅん。
ユン君 先輩といると、学生気分でいられるんだな、不思議と。
もえな へぇ……。
ユン君 どうすっかな……。待ってる、ここで?
もえな ねえ。
ユン君 なに?
もえな ン。(唇をかわいく突き出し、キスをせがむ)
ユン君 ええ!
もえな ン。
ユン君 ダメだよ、先輩の部屋で。
もえな いいじゃない、結婚するんだから。
ユン君 そういう問題じゃないだろ。
もえな ね。ン。(かわいく目を閉じる)
ユン君 (いつもながらのもえなの積極さに戸惑う)――あ、いかん。
もえな なに?
ユン君 忘れ物忘れ物。
もえな え?
ユン君 土産土産、先輩の。ちょい待ってて。

   ユン君、自分の部屋に忘れ物を取りにいく。
   もえな、一人残る。手持ち無沙汰。部屋をあれこれ探索する。
   簡素な部屋。独身の男が一人で住んでいるにしても。
   棚に日本そばに関する本がずらりと並んでいる。
   もえな、そばの本を手に取って、見る。

もえな (本を一冊ずつ見ながら)そば。そば。そば。こっちもそば。……そばの本ばっか。――ん? メダカぁ?

   場違いに一冊並んでいた「メダカ」の本を手に取る。

もえな 変なの。

   もえな、興味なさげにメダカの本を棚に戻す。

もえな (ため息)……にしても、これでいいのかしら……。
ミズモ いいんじゃないですか。
もえな キャッ。

   ミズモ、帰ってきていた。

もえな あ、すみません、お留守のところ。彼――ユン君、今、部屋に土産取ってくるって。
ミズモ ああ。あいつね。
もえな 噂では、先輩のこと、よく聞かされてるんです、彼から。
ミズモ 先輩って、オレのこと?
もえな 彼、二言目には、先輩先輩って。だから、つい。
ミズモ 先輩でいいですよ。または、ミズモッサンって、呼んでくれても。
もえな ミズモ……?
ミズモ 名前水元で、略してミズモ。
もえな ああ。そうでした。
ミズモ で、お宅は……?
もえな あ、ごめんなさい。悠木もえなです。
ミズモ どうも。ミズモッサンです。
もえな ふふ。あの、片付いてますね。お部屋。
ミズモ なんもないだけ。独り身ですから。
もえな でも、下の、ユン君の部屋ぐっちゃですよ。
ミズモ あいつはね、案外だらしないの。いろんな意味で。
もえな え?
ミズモ え? あ、いや――、隣にも一部屋借りてるんです。
もえな この、アパートの?
ミズモ 仕事部屋に。で、こっちは寝るだけ。
もえな へぇ。お仕事ってなにを?
ミズモ まあ、ぼちぼちと……自営で。始めたばっかで……
ユン君 ミズモッ先輩!

   ユン君、戻ってくる。手にお土産。

ミズモ おう。
ユン君 先輩、戻ってたんっすか。これこれ、尾張の生わさび。出張土産です。
ミズモ おお! これは得難い。
ユン君 すり下ろして薬味にどうぞ。これでズズッと。(そばを手繰る仕草)
ミズモ おう、ズズッと。(そばを手繰る仕草)
もえな あの、ユン君。
ユン君 あ、すみません。こいつ、例の彼女です。
ミズモ 例の彼女?
ユン君 やだな、話したじゃないですか、今度結婚するって。
ミズモ ああ、そっちの彼女。
もえな え?
ユン君 え? ――そっちもこっちもないですよ。やだな。忘れちゃったんっすか。(ミズモを部屋の隅に引っ張っていって…内緒話)ほら、彼女しょっちゅう 小さなウソつくんで、これからやってけるかどうかちょい心配なんで、先輩の目で確かめてほしいって、話したじゃないですかオレ。
ミズモ ああ、そうだったな。
ユン君 ね。
ミズモ 今でもバージンって言い張るんだったな。
ユン君 元演劇部なんで、演技うまくて。
ミズモ そこがまたかわいいってか。
ユン君 やだな。
もえな (咳払い一つ)ウフン。一人なんですけどぉ、わたし。
ユン君 ああ、ごめんごめん。こっちは――
もえな ミズモッサン、でしょ。
ユン君 あれ?
もえな さっき、自己紹介。
ユン君 ああ、だったら話早い。彼女、うちの会社の得意先に勤めてるんです。――受付。
ミズモ へえ、トヨタの――
ユン君 トヨタじゃなくて――
ミズモ ニッサン――
ユン君 じゃなくて――
ミズモ ホンダ――
ユン君 じゃなくて――
もえな ――ヤンマーなんですけど。

   短い間。

ユン君 いい……とこじゃん(作り笑い)。へえ、受付。
もえな はい。(ニッコリ…受付用スマイル。でも飛び切り感じいい)
ユン君 これこれ。これにだまされるんです男は。
もえな (ニッコリしたまま)なにユン君、言葉にトゲがあるんだけどぉ。
ミズモ イチコロだな、お前なら。
ユン君 わかりますぅ?
ミズモ わかるかわる。で、あとで少々疑心暗鬼になる。パターンだな。
ユン君 え?(図星を突かれる)
もえな え?(ユン君の戸惑いを怪しむ)
ミズモ (二人の様子には気づかず)よし、一つお祝いしよう。お前、コンビニ行って酒買ってこい。ビール。カロリーオフ。
ユン君 飲むんですか、今から。
ミズモ (内緒話)バカ。お前が外行ってる間に確かめるんだよ。
ユン君 ああ。ナイス先輩。
もえな あの、感じ悪いけどぉ。
ユン君 ごめんごめん。じゃ、オレ特急で行ってきます。
ミズモ 鈍行でいい。
ユン君 そっか。(もえなに)じゃ。ちょっと待っててね。
もえな わたしワイン。
ユン君 ワイン? あるかコンビニに?
もえな あるわよ。買ったことあるもん。
ユン君 ホントかぁ。

   ユン君、部屋を出ていく。
   ミズモともえな。
   しばし無言。

ミズモ あの……どうぞ。(ト座るように促すが…)
もえな ユン君とは長いんですか、ミズモッサンって。
ミズモ ええ、まあ。
もえな あ、わたし、もうミズモッサンだなんて。
ミズモ いや、いい、いい。
もえな えへ。
ミズモ あいつが大学のサークルに入ってからだから……(指折りつつ)四年と、あと三年、四年――もっとかな。
もえな なんでしたっけ? 日本そば……
ミズモ 日本そば研究サークル。正しくは、B級が付くんだけど。B級日本そば研究サークル。略して「ビそ研」。
もえな 彼、気づくとそばの話ばっかり。
ミズモ そりゃ、オレらそば命ってとこあるから。
もえな もえなよりそばが好きなのかしら……。
ミズモ ……。
もえな ミズモッサンとはなんでも話したりしますよね、彼。
ミズモ まあ、ね。いろいろと。
もえな 彼、なんて言ってました――
ミズモ え?
もえな わたしのこと。
ミズモ いや、その、特には……
もえな ウソつくとか――言ってませんでした?
ミズモ え、いや、どうだったかなァ……
もえな わたし、ウソとかついたことないんです、ホントに。
ミズモ ええ……
もえな ユン君の前では。
ミズモ え?。
もえな ウソついたって言っても、そんな人だますとかそんなんじゃなくて。例えば、友達に赤ちゃん生まれて、――わ、かわいいって――かわいくなくって も、かわいいって言うときあるじゃないですか。この子どう見てもモンキーってときでも、わっ、かわいい〜、ヤダ、キュート過ぎるぅって。もうそういうの条 件反射なんです。そういうのってありませんか?
ミズモ ええ、まあ。
もえな かわいいうそなんです、もえなのは。
ミズモ はあ……。
もえな でも、ユン君、時々怒るんです。
ミズモ はあ……。
もえな んなにいけないことかなァ。
ミズモ そりゃ、まあ……
もえな そうですか。いろいろ知ってるわけだ。ユン君のこと。
ミズモ ま、同じアパートだし。
もえな もえなの気づかないことも。
ミズモ ま、同じアパートだし。
もえな 今までの女性関係とか……。
ミズモ それは、どうかなァ……
もえな ふぅん……
ミズモ あの……
もえな ――彼、なんかためらってるんです。
ミズモ え?
もえな なんかね、ためらってて、踏ん切りがつかないみたいなんです。
ミズモ 踏ん切りつかないって……、なにが?
もえな だから……わたしとの結婚。
ミズモ ええ?
もえな もしかして、浮気してんじゃないかな。
ミズモ いや、それはないと思うけど。
もえな どうしてですか。
ミズモ どうしてって、あいつとは長い付き合いだし。そんなことは……ないんじゃないかなァ……ないと思うけど……ないといいなァ……
もえな そうですかね。
ミズモ そうですよ。

   間。

もえな 確かめてもらえませんか。
ミズモ え? 確かめるって?
もえな その、ユン君の気持ちを。
ミズモ ええ?
もえな どうして踏ん切りつかないのか。
ミズモ そりゃァ、まあ……
もえな 浮気も含めて。
ミズモ 浮気込みで。
もえな はい。ミズモッサンにならなんでも話すと思うんで、彼。
ミズモ まいったなァ。
もえな なにか、問題でも。
ミズモ な、ないけど。(傍白)どっちも相手を確かめろってか。
もえな ……?

   ユン君、戻ってくる。

ユン君 ただいま戻りました。
ミズモ 早いよっ。
ユン君 それが。これ!(買い物のビニール袋差し出す)
もえな なに、なに。
ミズモ おお!
ユン君 買ってきちゃいました。新発売。セブンイレブン特性東京藪そば。
ミズモ おお!
ユン君 老舗東京藪そばとの夢のコラボレーション。
ミズモ おお!
ユン君 店主太鼓判。店の味をそのまま再現。
ミズモ おお!
ユン君 究極の味を追求して、お値段なんと三百八十円。
ミズモ おお! (のどを鳴らして)いただきますか。
ユン君 いただきましょう!
もえな あのぉ……もえなのワインは?
ユン君 あちゃあ!
もえな なに。
ユン君 忘れちゃった。
ミズモ ビールもか。
ユン君 そばに夢中で。
ミズモ お前らしいなァ。
ユン君 オレらしいって?
ミズモ 案外抜けてる。
ユン君 ハハ。かたじけない。
もえな もうッ。お祝いじゃないの。
ミズモ そうでした。
ユン君 そばでやろ、そばで。ズズッとお祝い。
もえな ゲッ。
ユン君 バカ。手切りのそばはな、昔はハレの日しか食わなかったんだぞ。
もえな またそばの薀蓄。それに手切れって縁起悪っ。手切れ金とか。
ユン君 バカ。手切れじゃなくて、手切り。手切りってのは、いわゆる手打ちのそば麺のことだよ。切ってあるそば。
もえな はいはい。(小声で)薀蓄にうんざり。
ミズモ いや、それは本当。会津では、正月、お雑煮の変わりに手切りのそばを食してた。
ユン君 ね。(もえなに)だから、お祝い。ハレの日。食べよ食べよ。
もえな ……。(ムスッとしているがユン君に従う)

   ちゃぶ台にパックのそばを並べて食べる。
   男たちはいそいそとそばのビニールの包みを破る。効能書きなどを熱心に読んだりして。あれこれ評価などし合う。静かに興奮。

ミズモ これはいいんじゃないですかァ。
ユン君 期待持てそうっすね。

   もえなはふてくされて食べる用意をする。

ミズモ では、いただきまーす。
ユン君 いただきます!
もえな ……いただきまぁす。

   男たち、真剣に食べる。ズズッとのど越しで。
   時折、顔を見合わせ、うなずきあったりする。

ミズモ おお! これはなかなか。
ユン君 なかなかの、梅の上(じょう)ですか?
ミズモ いや、竹はいってる。この値段だもの。
ユン君 竹ですか。竹、竹。
もえな なに、竹とか梅とか。
ユン君 松竹梅(しょうちくばい)だよ。松・竹・梅(まつたけうめ)。味のランク。で、これは竹。(ミズモに)竹の上はいってないですよね?
ミズモ それはな。
もえな ……(小声)バカらし。

   一方もえなは、投げやりに。麺を一、二本摘み上げ、口をすぼめて、ソロソロと。

ミズモ チョイ待ち。
もえな え?
ミズモ あのね、そばはのど越し。
もえな え?
ミズモ さっと手繰って、つゆにちょこっとつけて、ズズッと噛まずに味わう。そうすっと、そばが香り、あとからつゆの旨さが追いかけてくる。(ユン君に)教えとけよ、このくらい。
ユン君 何度も言ったんすけど。教えたろ、オレ。恥かかすなよ。
もえな だって。ズッてやると、ピッてつゆがはねるんだもん。べッて髪に付いたら、プッとくさくて。
ユン君 先輩の前だぞ。
もえな はいはい。(普通に食べようとする…小声で)そばの話ばっか。
ユン君 なんか言った。
もえな 別に。
ユン君 (ミズモに)なんかすみません。
もえな なんで謝るのよ。
ユン君 いいだろ。人がせっかく……
もえな なによ。
ミズモ (もえなに)あの……ひとつ伺いますが。
もえな はい?
ミズモ そばって漢字が書けますか。
もえな へ?
ミズモ へ、じゃなくて、そば。
ユン君 書けますよ。書けるだろ。
もえな か、書けるわよ。
ミズモ (ユン君に内緒話)そばって漢字も書けなきゃ、やめた方がいいぞ。
ユン君 ええ! (もえなに)書けるよな。
もえな だから……書けるわよ。
ミズモ どんな字?
ユン君 どんな字?
もえな ど、どんな字でもいいじゃない。書けるって言ってるんだから。
ユン君 あちゃ!
もえな なにが、あちゃよ。
ミズモ まあまあ。
もえな まあまあって、自分が仕掛けといて。
ユン君 バカ。先輩になに言ってんだ。
もえな もえなはそばよりスパゲッティが好きっ。
ユン君 ええ! お前、日本そば大好きだって。だから、オレ。
もえな あれは……あのときはそう思ったのよ。
ユン君 また、ウソ。
もえな ウソってなによ。ウソついたことありませんわたしは。
ユン君 あるよ。
もえな なによ。言ってみてよ。いつもえなウソついた?
ユン君 あれだよ、あれ。去年の春にさ、海行ったじゃん。
もえな 去年の春ぅ……?(急に不安になる)
ユン君 (ミズモに)海行ったんですよオレら、付き合い初めの頃。海見たいって言うから、車で。
ミズモ おう。
ユン君 で、海着いて、車降りて、浜辺で海見てたら、急に曇ってきて雨降ってきたんです。バラバラッて。春の海って天気変わるじゃないですか。
ミズモ よくわからんが。
ユン君 変わるんですよ、風の影響かなんかで。で、濡れるから車戻ろうって言ったら、こいつもうちょっと歩こうって。
ミズモ 歩いた?
ユン君 歩きましたよ。頭からずぶ濡れんなって。でもこいつ、なんかうれしがっちゃって。
もえな だって、ロマンチックだったんだもん、ユン君と二人で。初デートで。フランス映画みたいで。
ユン君 フランス映画なんて見ないじゃない。
もえな 見たよ。シェル……なんとかの雨傘。
ユン君 知らないじゃん。(ミズモに)で、オレ、なんか風邪引いちゃって、彼女に付き合って冷たい雨ん中、海見てて。
ミズモ それは下心のなせる業(わざ)だな。
ユン君 先輩。……ま、それも少しはあったけど。
ミズモ あったの、ユン君。ヤダぁっ。
ユン君 で、車で引き返して、彼女駅まで送っていって、その日はバイバイしたんですよ。
ミズモ それは残念。
ユン君 残念なんかじゃありませんよっ。芯から冷え切って熱出てたんっすから。そしたらこいつ、駅からちょっと行った所で傘広げて歩いていったんです。
ミズモ どうも話が見えんな、お前のお喋り。
もえな 少しそういうとこある。
ユン君 だから! 傘持ってたの、こいつ。初めっから。「もえな、傘持ってない〜」なんてウソついて。
ミズモ そこに行き着くのか。長い話じゃ。
もえな そんなのウソじゃありませんっ。忘れてたの。駅着いて気づいたら、たまたまカバンに――
ユン君 そんなことあるかよ、たまたまカバンに入ってるなんて。
もえな いいじゃない、雨ん中二人で歩いても。初デートで、一生の思い出になったでしょ。
ユン君 そりゃなったよ、別の意味で。風邪引いたんだぜオレ。三十九度も熱出て。
もえな もえなは平気だった。
ユン君 お前は特別アレなんだよ。
もえな なによ、アレって?
ユン君 わかんない? だから、アレだっての。
もえな ぷっ。(怒って頬をフグのように膨らませる)
ユン君 なんだよ、「ぷっ」って。バカにしてんの。
ミズモ まあまあ、まあまあ。ここは、オレが悪かった……ということにして。な。
ユン君 ……。
もえな ふん……。

   もえな、プリプリ腹を立て、そば麺の上にそばつゆをかけて、スパゲッティ風に箸でクルクル巻きつけてそばを食べようとする。

ミズモ (急に怒って)こら、やめろ! そ、そんなスパゲッティみたいな食べ方!
ユン君 おい。
もえな なによ。もえなのお祝いでしょ。どう食べたって自由じゃない。そばよりスパゲッティが好きなの、わたしは!
ミズモ やめろ!
もえな (嫌がらせのように歌う)♪オ〜ソ〜レミ〜ヨ〜〜!
ミズモ やめろ! 歌うな、スパゲッティの国の歌なんか!
もえな ♪サンタァ〜ルチ〜ア〜 サンタァ〜〜〜ルチ〜アッ!
ミズモ ええいっ!
もえな キャッ!

   ミズモ、腹を立て、ちゃぶ台をひっくり返す。「巨人の星」の星一徹のように。
   が、ユン君が間一髪でそれを防ぐ。大事なそばをひっくり返さないように。

ユン君 先輩!
ミズモ こういう単純なのが一番腹立つ。
ユン君 すみませんっ。
ミズモ (内緒話)この女はやめた方がいい。悪いけど。
ユン君 え? でも。確かに今のはあれでしたけど……
ミズモ オレの目に狂いはない。
ユン君 しかし……さっきのは……
ミズモ 狂いなしっ。
もえな あの……もしもし。
ユン君 謝れよ。
もえな 謝るのはそっちの方でしょ。
ユン君 バカ、先輩はそばを愛するあまり。
もえな ユン君よ。
ユン君 ――え、オレ?
もえな 今、ちゃぶ台がひっくり返りそうになって、なにした?
ユン君 え? なにって? そりゃ、お前――
もえな なにした?
ユン君 え?
もえな もえなよりそば守ったでしょ。
ユン君 ええ?
もえな ちゃぶ台がひっくり返りそうになって、そばがわたしにかかりそうになったのに、わたし守らないで、そば守った!
ユン君 ええ! ちがうよ、そば守ったんじゃなくて、お前を――
もえな と、人は見るかもしれない。けど、ちがう。そば守った、わたしより。
ユン君 誤解だって。
ミズモ いや、そば守った。お前はそういうやつだ。
ユン君 先輩それ褒めてるんすかっ。
もえな 前にもそんなことあったなぁ、ユン君。
ユン君 え?
もえな 上野のなんとかって有名なおそば屋さん連れてってもらったとき。おそば食べて、最後そば湯でそばつゆ飲むでしょ。ホントはもえな、そばつゆ飲むのドロッとして、たれくさくて、好きじゃないんだけど。そば湯で薄めて飲むもんだって、粋がって、ユン君。
ユン君 粋がってんじゃなくて、普通そうするの。
もえな そば湯の入ってる、ちっちゃなかわいいヤカンが熱くて、煮えたぎってて、もえな思わずキャッてこぼしちゃったら、なんて言ったと思います、ユン君。
ユン君 そりゃ、大丈夫かって、オレ――
もえな 大丈夫か――そば湯は、よ。「もったいねぇ」だって。
ユン君 ええ! 言わないよ、それは。
もえな 言ったの。わたし薬指火傷しちゃったのに。もう指輪もつけらんないぐらい。
ユン君 それは、せっかく上野藪そばに連れてってやったのに、お前が粗相するからだろ。ね、先輩、上野藪そばですよ、上野藪そば。
ミズモ いや、それは、お前が悪い。
ユン君 ええっ。
ミズモ そば湯はまた頼めばいい。
ユン君 さっきは彼女に怒ってたのにぃ! ちゃぶ台ひっくり返そうとして。
ミズモ (もえなに軽く頭下げる)……面目ない。大人気なかった。

   間。

ユン君 そもそも先輩が悪いんっすよ。
ミズモ ええ?
ユン君 まだ引きずってるんですか。あれを。
ミズモ え? なんだ急に。矛先をオレに向ける?
ユン君 引きずってるでしょ。
ミズモ (たじろいで)なにを、オレが引きずる。
ユン君 先輩の別れた女ですよ。ビそ研の。
もえな ビそ研の女。
ミズモ バ、バカ。
ユン君 別れた女とおんなじ怒り方でしょ。そばにつゆかけてスパゲッティみたいぐちゃぐちゃにして、箸でクルクル巻いて食ったって。ああいう単純なのが一番腹が立ったって。話してくれたじゃないですか。
ミズモ し、知らん。
ユン君 別れた女と同じ理由じゃないですか、怒ったの。
もえな そうなの?
ユン君 ビス研の男に彼女取られたんだよ。
もえな ビス研って?
ユン君 B級スパゲッティ研究会。略してビス研。
もえな 予想付いてたけど。
ユン君 先輩が唯一付き合ってた人なんだ。
もえな そうなの。
ユン君 結婚まで考えてたんっすよね。
ミズモ し、知らん。
ユン君 だから先輩は今でもスパゲッティが――
ミズモ 言うな!
もえな かわいそ過ぎる。
ミズモ 言うな!
ユン君 オレ、先輩が心配なんですよ。このアパートにいつまでも一人で、鯉の養殖でやってけんのかなって。
もえな 鯉の養殖?
ユン君 先輩の仕事。最近始めたんですよね。
もえな ああ、隣の部屋の。
ミズモ ちがう。鯉じゃない。
ユン君 金魚でしたっけ。
ミズモ メダカ。
もえな ええ!
ミズモ メダカの養殖です。
ユン君 やってけるんっすか! メダカの養殖で。
ミズモ 答えは出てない。
ユン君 なんっすか、それ。
ミズモ ハハッ。
ユン君 ハハッって。
ミズモ 隣の部屋、水槽でいっぱい。
ユン君 売れるんですか、メダカって。
ミズモ マニアにはな。
ユン君 先輩、世界狭くなってないっすか。
ミズモ でも、それはそれでかわいいぞ、メダカって。日本メダカには、赤メダカ、青メダカ、白メダカ、灰メダカといろいろいるんだが、中でもかわいいのが、ミルキーメダカ。
ユン君 先輩、変!
もえな メダカだけに目の付け所が、変!
ユン君 オレ、先輩が心配なんですよ。
ミズモ ほっとけ、オレのことは。今は二人の――
ユン君 ほっとけないんですよオレは!
ミズモ ……。
ユン君 ここは、踏ん切りつけましょう、先輩。
ミズモ 踏ん切りって?
ユン君 その女、確か別れたはずでしょ。ビス研の男とは。
ミズモ ああ……
ユン君 電話してみて下さい。
ミズモ え? 知らないよ、番号。抹消しちゃってるし。それに――とっくの昔に終わったことだし。
ユン君 終わってないじゃないですか。十分引きずってます。
ミズモ だから。――ムダなんだって。
ユン君 知らなくていいんですよ、電話番号なんか。
ミズモ え?
ユン君 先輩の心ん中の彼女に電話するんですよ。それで踏ん切りつけるんです。
ミズモ 心の中の……
ユン君 心ん中の元カノに、さよならなり、愛してたなり、本音ぶつけて、すっきり完了させるんです。踏ん切りつけるんです。ね。
ミズモ ああ……。
ユン君 こいつが相手してくれます。
もえな あたしぃ!
ユン君 (ミズモに)言ったでしょ、元演劇部だって。ウソと演技はお手の物。
もえな ちょっとぉ、嫌味に聞こえるんですけどぉ。
ユン君 な、頼むよ。
もえな ……わたしはいいけど。おもしろそうだから。それに……
ユン君 ン?
もえな そういう一生懸命なユン君、好き。
ユン君 バァカ。
もえな ヘヘ。
ユン君 ね。先輩。そしたらオレも安心だから。
ミズモ ……フン。オレが踏ん切りついたら、お前も踏ん切りつくってか。おかしなやつだな。
ユン君 ヘヘ。
ミズモ フ。
ユン君 じゃ、いいですね。

   もえなを昔の彼女に見立てての電話芝居。もえなが、ミズモの元彼女を即興で演じる。
   ミズモが部屋の隅、もえながその逆の隅に立ち、携帯電話で電話する振り。その真ん中でユン君があれこれ指示を出す。

ユン君 じゃ先輩が、ビス研に寝取られた元カノを思い出して、夜中に一人さみしくケータイを取り出して電話します。
ミズモ やめた。
ユン君 なんで? 今やるって言ったのに。
ミズモ さみしくないオレは。それに「寝取られた」ってのは穏当(おんとう)じゃない。
ユン君 わかった。わかりました。寝取られたんじゃありません。無理やり奪われたんです、ビス研野郎に。
ミズモ ん。そして――
ユン君 そして――先輩はさみしくない。全然さみしくない。金輪際さみしくない。フッツー(普通)に電話します。なんとなく思い出して、なんの気なしに、なにげに、たまたま、指が勝手に動いちゃってケータイかけちゃう。……ね、これでいいでしょ。
ミズモ ま、いいことにしよう。
ユン君 (小声で)世話が焼けるな。
ミズモ なんか言ったか。
ユン君 いや、なんも。はい! ケータイをピピピッとかけて――ほい、アクション!
ミズモ ……もしもし。
もえな はいはい。
ミズモ お元気ですか。
もえな はい。わたしは元気です。あなたはお元気ですか。
ミズモ はい。わたしも元気です。
ユン君 なによ、それ。中学校の英会話じゃないんだから。
ミズモ ……どうよ、そっちの方は? ……まだスパゲッティが好きなのか。
ユン君 お、その調子。
もえな スパゲッティもそばのうちよ。
ミズモ そばじゃない、スパゲッティは。
もえな なんで? ズズッて食べるじゃない。イタリアのそばよ。
ミズモ スパゲッティにそば粉は使わん。
もえな もう。相変わらずね。
ミズモ 相変わらずって。
もえな 頑固で、偏屈。
ミズモ おんなじ意味だろ、頑固も偏屈も。
もえな それに、一言多い。
ミズモ なに!
もえな なによ。
ユン君 先輩、踏ん切り、踏ん切りぃ。
ミズモ ……イタリアにもそばがあるんだ。
もえな え?
ミズモ イタリア風のそばが。そば粉でつくるパスタが。
もえな へえ。
ミズモ ピッツォケリオ。
ユン君 へえ。
もえな ……。(ユン君をチラと見る)
ミズモ フランスにはそばクレープ「ガレット」。
ユン君 へえ。
ミズモ ロシアのそば粥「カーシャ」。
ユン君 ほうほう。
ミズモ 中国のそば麺「河漏(カロウ)」。ネパールのそばパンケーキ「ロティ」。極めつけはブータンのそば押し出し麺「プッタ」。
ユン君 食いてぇ!
もえな 結局そばの話ばっか。(半ばユン君に言うように)わたし、髪切ったんですけどぉ。わかりませんか。
ユン君 え?
もえな ちょっとおしゃれしてるんだけどぉ。だれかさんのために。わかりませぇんかぁ。
ユン君 わ、わかるよ。
ミズモ わかるの? 電話だよ。
ユン君 (ミズモに)い、いいんです。「実は街で見かけたんだ。きれいだった」。はい言って。
ミズモ じ、実は街で見かけたんだ。きれいだった。はい言って。
ユン君 「はい言って」はいいんです!
ミズモ あ、そっか。
もえな でも、それってわたしじゃないんじゃないかなぁ。
ユン君 え?
もえな だって、ホントは髪切ってないもん。
ユン君 あ、またウソ!
もえな わたしのこと真剣に見てればわかるでしょ、髪切ったかどうかなんて。
ユン君 マズッ。
もえな その髪切った女って、もしかしてビそ研の後輩のリョウコじゃないの。
ミズモ リョウコ? あのネールアートの? お前、あれはやめた方が――
ユン君 手、出してませんオレは! マジで。誓って。
もえな マジで誓うとこが怪しい。
ユン君 ちょっとお茶しただけ。
もえな お茶ぁ?
ユン君 相談に乗ってやったんだよ。恋愛相談。失恋相談。
もえな どんな?
ユン君 だから、あいつが彼氏に振られたって言うから、茶店で話聞いて、フルーツパフェおごって、慰めて――
ミズモ で、ミイラ取りがミイラに。
ユン君 先輩、んなことないですよ。
もえな でも、もえなのときとパターン一緒。
ユン君 ゲッ。
もえな ごまかしてる。
ミズモ ごまかしてる、確かに。
ユン君 ゲゲッ。
もえな お節介の焼き過ぎなの。だれにでも優しいんだから。
ユン君 んなことないよ。ただ――
もえな ただ……?
ユン君 あの子と喋ってると気持ちいいんだ。安心できるっていうか、最低ウソだけはつかないから。
もえな あ――
ユン君 あ――(しまった)。い、今はオレのこといいから、芝居に戻って。
もえな こんなんじゃ芝居に戻れません。
ユン君 お前だってごまかしてるじゃない。
もえな わたしはだれとも会ってません。――わたし、ユン君モテるから心配で。
ミズモ 女心だ。
ユン君 ちがうんですよ、そうじゃなくて、――お前、年上だろ、オレより。
もえな へぃぇ?
ユン君 それも三つも。
もえな ふぅぇ?
ユン君 へぃぇ、ふぅぇ、じゃないよ。なんでウソつくの。
もえな そ、それは――
ミズモ だから、女心だろ。
ユン君 先輩は黙ってて下さい。
もえな なんでわかったの?
ユン君 わかるよ、そりゃ。もえなのお母さんから。
もえな もえなママが。もう、ママったらっ。
ユン君 だろ?
もえな でも、それもウソよ。
ユン君 ウソ?
もえな だって、もえなママもちっちゃなウソつくんだから。
ユン君 母娘でかっ! じゃ、いくつなの、いったい?
ミズモ もめてるようだから、やめるかこの、電話芝居。
ユン君 オレたちのことはあとにしますから、芝居に戻りましょう。こうなったら意地でも続けましょう、ね。
ミズモ でもな……
ユン君 いいから、芝居に戻って! ね!
もえな (仕方なく芝居に戻って)……電話してきてくれてありがとう。
ミズモ ああ。
ユン君 その調子その調子。
もえな 今だれと付き合ってるの。
ユン君 だからっ付き合ってないっ。
ミズモ だから付き合ってない。
ユン君 しつこいぞ。
ミズモ しつこいぞ。
もえな ホントにぃ?
ユン君 ホントに。マジで。誓って。
ミズモ ……と言ってる。
ユン君 先輩! 芝居芝居。
ミズモ ホントに、マジで、誓って、だれとも付き合ってない。
ユン君 お前だけ。
ミズモ と言ってる。
ユン君 先輩!
ミズモ ……お前……だけだった。
もえな ずっと独りなんだ――。もしかして、寄り戻す?
ミズモ わからん。
もえな もしも、仲直りするなら、その前に一言言って。
ミズモ なにを?
もえな なにをって。わかってるくせにぃ。
ユン君 いいねぇ、その甘えた感じが。
もえな 言葉で言って、はっきりと。
ミズモ はっきりと。
ユン君 はい、言いましょう、はっきりと。
もえな そばより――わたしが好きって。
ユン君 (同時に)え?
ミズモ (同時に)え?
もえな 言わなきゃ仲直りしてあげない。
ミズモ それは言えん。
ユン君 言って先輩!
もえな 言って!
ミズモ そ、そばと同じぐらい好き。
もえな ダメ!
ユン君 (じれったい!)
ミズモ そばも好きだけどお前も好き。
もえな ダメ!
ユン君 (じれったい!)
ミズモ この辺で手を打とう、そばだけに。
もえな イヤ!
ユン君 (たまらず)「そばよりお前が好き!」
ミズモ 裏切るのか!
ユン君 そんな!
もえな どうなのよ! そばとわたし、どっち? 別れるわよ!
ユン君 そばより、きみのそばがいい!

   ユン君、もえなを思わず抱きしめる。

ミズモ 下らん。(ケータイ放り出す)やっぱムダだよ、ムダ。
ユン君 先輩。踏ん切りつけましょう。
ミズモ あのな。
ユン君 センパイがシンパイ。
ミズモ 帰れ。
ユン君 先輩。
ミズモ もう一回言う。帰れ。二人で幸せにやれ。
ユン君 先輩。
もえな 帰ろう、ユン君。
ユン君 いや、ダメだよ。……先輩、覚えてますか。
ミズモ 忘れた。
ユン君 まだ言ってませんよ。
ミズモ ……。
ユン君 思い出して下さいよ。先輩はやるときゃやる人間です。あのときの勇気を。
ミズモ お前ね、なんのときのことか言わなきゃわかんないよ。
ユン君 ほら、あれ、あのときの先輩は輝いてた。
もえな だから。
ユン君 わかってるって。信州ですよ。オレが大学二年で、先輩が七年生で、サークル仲間の二十歳のお祝いに、みんなで信州にそばツーリングに行ったじゃないですか。
ミズモ ああ。
ユン君 「信州信濃のぉそばよりもぅ わたしゃあんたのそばがいい」。ね。
もえな なにが、「ね」、なのよ。じれったい。
ユン君 だから。みんなでバイクに乗って、信州の山奥に、長野駅から二時間の道のりを、信州信濃の幻のそば打ち親父の店まで、そば食いに行ったんだ。ね。
ミズモ ん。
ユン君 昼に着くはずが、道迷っちゃって、先輩方向音痴だからなぁ、着いたら、きょうのそば完売で、店が閉まるとこだったんだ。
もえな で。
ユン君 で、泣き入ったよ。朝四時に出発して、幻のそば楽しみに飯抜きで来てんだぜ。それが完売。
もえな で、あきらめて帰ったの?
ユン君 それが。信州信濃の幻のそば打ち親父の食うのが一食だけ残ってたの。
もえな ふんふん。
ユン君 頼んだよ。それ分けてくれって。頭下げて。ビそ研のみんなで頭下げて。
もえな で、分けてくれた。
ユン君 そんな簡単にいかないよぉ。信州信濃の幻のそば打ち親父がイジワルそうに微笑んだんだ。
もえな 一回一回「信州信濃の幻のそば打ち親父」って言わないといけないわけ。
ユン君 黙って聞けよ。そしたらその信州信濃の幻のそば打ち親父が言うんだ。
もえな 「普通に親父でいいよ」って?
ユン君 ちっがう! 信州信濃の幻のそば打ちハゲ親父が言ったんだ。
もえな 「ハゲ」増えてるし。
ユン君 いいからっ。厳(いか)めしい顔して言ったんだ。わしを笑わかせてみろって。思いっきり笑わかされたら、このそば、分けてやろうって。
もえな ほうほう。
ユン君 「信州信濃のぉそばよりもぅ わたしゃあんたのそばがいい」。ね、先輩。
ミズモ ん。
もえな わからん! もっと話して。
ユン君 踊ったんだよ、先輩が。その信州信濃の幻のそば打ちハゲ親父の前で。即興で。(軽く手振りで)「信州信濃のぉそばよりもぅ わたしゃあんたのそばがいい〜」
ミズモ ああ、だったな。
ユン君 みんな、腹抱えて笑ってました。大失笑でした。
ミズモ 大爆笑だろ! 日本語間違ってるぞ。
ユン君 信州信濃の幻のそば打ちハゲ親父は感動して、自分で食べるそば一食分を分けてくれた。香り立つそばを丁寧に茹で上げ、氷水できゅっと絞めて、つゆ を添えて。先輩は食べた、その幻のそばを。一人で食べた。みんなで分けて食べるなんてそんな失礼なことはできないと。そんな不粋なことはできないと。そん な卑しいことはできないと。泣きすがるみんなを前にして、食べた、先輩は。このときほど先輩がまぶしく見えたことはなかった。光り輝いて見えたことはな かった。やせの大食いめっ。
ミズモ 恨んでんじゃないか!
ユン君 踏ん切りつけましょ。

   間。

ミズモ だから、ムダなんだって。
ユン君 あのときの勇気を思い出して下さい。先輩はなんでも乗り越えられる。
ミズモ だから、死んだんだ。
もえな え? ヤダ。
ユン君 信州信濃の幻のハゲ打ち親父が?
ミズモ ちっがう! それにハゲ打ちじゃない!
もえな ハゲ打ちってなに? ある意味見てみたい。
ユン君 ごめん、勢いで。
ミズモ ……死んだんだよ、彼女。子宮ガン患って。
ユン君 え? ウソ。
ミズモ 二年と七ヶ月……と三日になるかな。だから、ムダなんだよ。どうしたって――踏ん切りつけられない。
ユン君 七ヶ月と三日って……。だったら――その女に操立ててるんですか、いつまでも。
ミズモ そう……なりますか。

   間。

ユン君 粋だなぁ。
もえな え?
ミズモ わさびが効いてるだろ。
もえな どこが。
ユン君 涙が出ます。鼻からわさびだ。
もえな 使い方間違ってる。
ユン君 オレ、踊ります。もう踏ん切りなんてつかなくてもいいんじゃないですか、ねえ!
もえな ねえって。
ユン君 (踊る)「信州信濃のぉそばよりもぅ わたしゃあんたのそばがいい」………
ミズモ やめろぉ!
ユン君 先輩……。
もえな ……。
ミズモ ……振りがちがう。こうだ。(踊る…万感の思いを込めて)「信州信濃のぉそばよりもぅ わたしゃあんたのそばがいい〜」………(踊り続ける)
ユン君 先輩……!
もえな こりゃホント大失笑だわ。
ユン君 うん……。
ミズモ ……「信州信濃のぉそばよりもぅ わたしゃあんたのそばがいい〜」………
ユン君 踊ろう、一緒に。
もえな え?
ユン君 な。
もえな ユン君。
ユン君 な。踊ろう。
もえな うん!

   ミズモを中心に三人で踊る「幻のそば踊り」。

ミズモ (踊る)「信州信濃のぉそばよりもぅ わたしゃあんたのそばがいい〜」アッ、ホレ。
ユン君・もえな (踊る)「信州信濃のぉそばよりもぅ わたしゃあんたのそばがいい〜」アッ、ホレホレ!………

   ひとしきり踊り、笑い転げ、……そして休む。
   皆、しばし無言になる。

ユン君 ……もうそばばっかり追ってられませんね。今のままが居心地いいのに。
もえな ユン君……。
ミズモ おまえ……
ユン君 はい……?
ミズモ オレが心配だって言いつつ、本当は自分が心配なんだよ。踏ん切りつかないんだよ。(自分とユン君の間に手で線を引きつつ)もう旅立たなきゃいけないのに、こっちの世界に片足置いてるんだよ。もう片方の足は、彼女との未来に跳び出そうとしてんのに。
ユン君 先輩。
ミズモ 股裂き状態って言うんだ、そういうの。
ユン君 そうなんすよねぇ、そうなんっすけどオレ……
ミズモ わかってんだったら、もうこっちの足は踏ん切って、跳び出せよ。彼女とさ。一歩前に進むときだよ。
ユン君 ――!
ミズモ 彼女いいと思うよ。お前っていうそばに合ってるよ。息も合ってるし。最高のそばつゆだよ。
ユン君 先輩……!
もえな ミズモッサン!
ミズモ オレみたいになるな。後悔するな。宙ぶらりんのぶぅらぶらに。
ユン君 先輩……。
ミズモ お前、そばの「三たて」言ってみろ。
ユン君 なんですか、いきなり。
ミズモ いいから。
ユン君 そばは挽きたて、打ちたて、茹でたて。
ミズモ 男と女の関係も――オレが言うのもなんだけど――その「とき」ってのがあるんだよ。結婚するにもそのときってのが。ときを逃がすとダメになる。オレみたいに。な。
ユン君 先輩。
ミズモ オレも、ま、踏ん切るから。そのうち、ぼちぼちと……
ユン君 はい……!
ミズモ ん。
ユン君 えへ。(涙ぐむ)また鼻からわさびが。
もえな ユン君……。(ユン君の手をギュッと握る)

   三人、微笑み合う。

ミズモ よし、これでオレのそば湯みたいなはなむけの言葉はおしまい。
ユン君 でも。
ミズモ ん?
ユン君 オレ、結婚したら、このアパート出ていきますよ。いいんですか――
ミズモ おう、出てけ出てけ。(強がる)
ユン君 仕事忙しいし、それにすぐ子ども作っちゃって、しょっちゅうここへ来れないかもしれませんよ――
ミズモ 来るな来るな――しょっちゅうは。
ユン君 そばだって、前みたいに一緒に食べにいけませんよ。いいんですかそれでも――
ミズモ おう。引越しそばだけは忘れるな。
ユン君 ……はい、先輩。(涙ぐむ)
ミズモ (もえなに)こいつね、いいやつなんです。ただ脇が甘いっていうか、ナメコそばみたいに。そこが憎めないんだけど。
もえな はい。(笑顔)よく知ってます。
ミズモ ウソも――薬味程度ならいいんじゃないでしょうか。
もえな ですよね。
ユン君 そこは――素直に「はい」だろ。
ミズモ ――はい!
ミズモ 辛味、薬味も味のうち、てね。――そうだ、教えときますね。そばってのはこうやって食うんです。

   ミズモ、小粋にそばを手繰る。のど越しで食べる。そばがのどを滑り降りるいい音がする。

ユン君 俺らも食べよう。
もえな うん。

   もえなものど越しで食べてみる。

もえな うめぇ!(ふざけて鼻を手のひらでこする小粋な仕草をする)
ユン君 ハハハ。

   皆でひとしきり和やかに食べる。和食だけに。………
   トもえなが突然――

もえな あ、いけないっ!
ユン君 なに?
もえな なにって、ユン君のお母様とお買い物!
ユン君 そうだっけ。
もえな キャーッ! 時間過ぎてるっ。わたしユン君のお母様にだけは嫌われたくないの。
ユン君 同性から嫌われるタイプだもんな。
もえな もしもしぃ?
ユン君 いや、独り言。
もえな 実はもえな――お母様にウソついてるの、薬味程度の。
ユン君 ええ、どんな?
もえな 妊娠してるって言っちゃった。
ユン君 薬味じゃない、それ!
ミズモ 確かに。
ユン君 ええ! なんでぇ?
もえな だって早く孫の顔が見たいって。
ミズモ 女心だな。
もえな マタニティグッズなの、きょうのお買い物。
ユン君 お袋怒るよ、ウソだってわかったら。オレ、うまく訂正するから、それ。
もえな ううん、いいの。
ユン君 よくないよ。薬味程度じゃないもの。
もえな ううん、それが――本当になっちゃった。
ユン君 ええっ! ええっ!
ミズモ 固まったよ。
ユン君 マジで、誓って、ホントに?
ゆえも うふっ。
ユン君 (指折り、月日を遡り)……お前あんとき全然大丈夫だって。そう言ったろ。だから、オレ……
もえな だって、ユン君、したがってたから――(かわいく舌をペロッと出す)
ユン君 あちゃ! そこ、ウソついちゃダメ! (ミズモに)すみませんっ、先輩。というわけで。
ミズモ いいよ。とっとと帰れ。なにはともあれ、よかったな。
ユン君 すみません。また。
もえな お世話になりました。

   帰りかけ、部屋の隅で――もえな、ユン君の手を握る。
   二人の世界。

ユン君 今の話、マジで本当?
もえな ホント。検査薬、バラ色に変わった。うふっ。
ユン君 ちゃんと病院行こ。オレついてくから。
もえな うん! ……ねえ。
ユン君 なに?
もえな わたし、好き。ユン君の、バカみたいに人のために一生懸命になるとこ。改めてそう思った。
ユン君 ウソじゃない?
もえな んふ、ウソじゃない!
ユン君 こいつ。
もえな えへ。
ミズモ はよ帰れ〜〜。
ユン君 じゃ、先輩。
ミズモ おう。
もえな それじゃ。

   二人、そそくさと帰っていく。

ミズモ ふぅ……。

   ミズモ、またそばを手繰ろうとする……ト――

もえな (戻ってきて顔を出して)あの、
ミズモ はい?
もえな わたしが相談したこと、ユン君には内緒にしてて下さいね。
ミズモ おう。
もえな それと――
ミズモ ん?
もえな メダカはやめた方が。
ミズモ とっとと帰れ。
もえな うふっ。また来ます、ユン君と。
ミズモ おう。――あ、
もえな え?
ミズモ さっきの赤ちゃんって……ホント?
もえな んふ。どっちでしょ――?
ミズモ あ――。
もえな じゃ。

   もえな、ペロッと舌をかわいく出して、去っていく。

ミズモ ふ、やれやれ。そば湯みたいだな、終わるころ出てくる。

   とドアの影から幽霊のような女の声が(でも優しい声)――

声   ミ〜ズ〜モ〜くぅ〜〜ん。
ミズモ へ――
声   スパゲッティが〜〜好きなんて言って〜ごめんね〜〜。
ミズモ え――
声   わたしも〜あなたが〜〜好きだった〜〜〜。
ミズモ ――
声   天国では〜毎日おそば食べてるのよ〜〜わたし。
ミズモ あ――ありがとう。
声   ミズモくぅ〜〜ん。あなたのそばに、ず〜っとず〜っといたかった〜〜〜。
ミズモ お、おう。
もえな ず〜〜っとず〜〜っと。
ミズモ お、おう。(涙ぐむ)
もえな (顔出し)うふ。――泣いてる。
ミズモ (涙ごまかし)もう、いいよ。とっとと帰れ。
もえな うふっ。(ペロッと舌を出し、去っていく)
ミズモ ……フ。(脱力して微笑む)

   ミズモ、またそばを手繰る。ひとしきり。その姿はわびしくもあり、さっぱりもしていて。まるでうまいそばの佇まいのよう。男の哀愁。わびさび。

   軽快な音楽が流れてきて……そばを手繰るミズモのシルエットを残しつつ、ゆっくりと暗転。

   ――と思いきや、ドアにノックの音。

ミズモ やれやれ。(立ち上がる)

   ミズモ、ドアの奥へ。
   声のやりとり。

男の声 せんぱーい! 実は、あの、ちょい相談が。
ミズモの声 お前か。久しぶりだなァ。
男の声 このアパート、変わってないですねぇ。
ミズモ 時間が止まってんだろ、ここだけ。で?
男の声 実は、その、かみさんと別れようかと悩んでるんです。
ミズモの声 おうっ。ま、上がれ。
男の声 土産持って来ました。福井の越前下ろしそば、お取り寄せで。
ミズモの声 おお、得難い! 入れ入れ!

   ミズモ、土産を手に戻ってくる。
   振り返り、後輩の男を部屋に招き入れる。
   そのミズモの笑顔――。
   音楽とともに、暗転。

                (幕)